水谷三公『江戸の役人事情:『よしの冊子』の世界』

江戸の役人事情―『よしの冊子』の世界 (ちくま新書)

江戸の役人事情―『よしの冊子』の世界 (ちくま新書)

 山本博文『武士の評判記』で「よしの冊子」に興味を持って、他に本が出ていないか検索をしてみた結果、出てきた本。行政学畑の人が、現在の官僚の生態の起源を探るといった問題意識で書いたもののようだ。人間ドックを受けながら読んだので、かなりの流し読み。
 最初は「よしの冊子」の紹介。寛政の改革を推進した松平定信は、役人の統制や改革の評判を知るために、噂の類を大量に収集させた。そこから抜粋されたのが、「よしの冊子」。文末が「〜〜由」で締められるので、「よしの冊子」と呼ばれるようになったそうだ。内容としては、市井の噂を集めたものだけに、どこまで信用できるか分からないといったところらしい。


 目付から奉行に至る、高級旗本のポストに関しては、それなりに有能な人物を選抜が行われたこと。しかし、比較的少数の上級旗本からの選抜には限りがあること。各ポストを数年単位で異動していくため、おのずと専門性が身につかず、専任の下級役人を使いこなせないことが多いと。「殿様の名所めぐり」と揶揄されたそうだ。このあたり、現在の官僚制度にもつながる問題だな。
 あとは、将軍側近というか、将軍の日常生活の関係者である「奥」、中奥や大奥関係者からの横槍。やはり、将軍と身近に関係する人間が強い。
 あるいは、江戸幕府の官僚制度のなかで、目付がブレーン役といった広汎な役割を担った話。財政を握る「勝手掛」の老中や目付が、重要な役割を果たすこと。町奉行所では、世襲の与力同心が、先例を把握し、町人とも関係が深く、奉行はお飾りだったことが紹介される。死刑判決でも、奉行は死刑にしなくてもいいんじゃと思っても、下僚に押し切られてしまう。煙たい上司は、結託されて追い出されてしまう。その程度の力しかなかったという。なんか、すごいな…


 後半は、勘定所について。非常に広い範囲の職掌が、2000名程度の人員で運営されていたと。「全国政権」の実務官僚が、この程度の人数なんだから、村方の自治におんぶに抱っこだったのが、よく分かろうもの。
 勘定所の職員である、勘定などは、下級の幕臣から採用され、実力次第でかなりの出世を見込める場所であったこと。新規参入がそれなりにあるところが、固定した与力同心によって運営される町奉行と異なるものであった。勘定所の新規人員採用では、試験も行われたが、出題された問題は実務の知識を前提としたもので、新規参入が難しかった。勘定所に関わる人々の血縁ネットワークなどによって、参入が規制されていた。
 このような勘定所職員の人脈・共同体内外の様々な関係性の中で、勘定所職員の立身出世が図られていった。


 最後は、外交。既に、寛政の改革の頃には、ロシアの極東進出など、ヨーロッパ諸国とどのような関係を構築するかが、政治的課題となりつつあった。叩き上げの実務派と積極主義的なキャリアの対立。これが、外交方針をぶれさせた側面があると。蝦夷地の開発をめぐる方針の揺れ。そして、同じような構図が幕末にも見られると。「開明派」とされる岩崎忠震と「守旧派」とされる川路聖謨の対比が、必ずしも当を得たものではないと。岩崎が、アメリカ公使ハリスの口車に乗ってしまった側面もあると。まあ、政策課題が本当に問題になるまで先送りする「ぶらかし」は、人間の知恵でもあるからなあ。


 とりあえず、同じ著者の『江戸は夢か』を読んでみたくなった。


 以下、メモ:

 人間の登録と把握の基本である生死がこれほどまでに加工可能であり、実際にも広く加工され、武家の常識となっていた以上、その常識に合わせて作成された公文書の取り扱いにも注意が必要になる。というより、「実子実ハ他人」と言われて驚くほうが、江戸では非常識と笑われかねない。これはなにも、武士個々の身分や生死の問題にかぎったはなしではない。江戸政府の公文書なるものが、たとえば租税や工事負担に関する文書についてかつて指摘したように(拙著『江戸は夢か』)、しばしば加工の産物であり、作文である。担当役人を含めた関係者は、裏の「実情」を承知のうえで、作文に努め、作文に同意する。見ようでは、役人は虚構を創り出し、支えることで俸給を得、生計を立てるとも言える。p.41

 これ、本当にそうだよな。「飢えている」という文書でも、本当に飢えているのか、どのような事情で食糧不足になったか分からない。
 まあ、現代でも、官僚の作文って、いろいろとあるよなあ。

 田沼時代のように、賄賂やヒキ、つまりは権門の声掛りで人事が決まっていたころは、手間暇は掛からないし、奉行も「目ガネも入ず済」んだが、人事・能力を精査するとなると、時間も手間もかかって大変だという感想も「冊子」にはある(上93など)。賄賂で人事を動かすなどは定信のとるところではないが、重役が短時間の個別面接をしてみても当てにはならないし、次に見るように、採用試験の実施にも制約が多かった。そもそも「ペーパー・テスト」で人物はわからないという議論は、江戸身分社会ではとりわけ強力である。それに、隠密などを使った厳密な能力・人物調査が必要だというのが定信の信条らしいから、そのぶん新規採用に手間と時間がかかるのも避けられない。p.177-8

 江戸の新規採用の大変さ。メリトクラシーには手間がかかると。
 コネは、選考コストは安いけど、おあつらえ向きの人材が手に入るとは限らないのが問題だよなあ。