鹿毛敏夫『アジアのなかの戦国大名:西国の群雄と経営戦略』

 いろいろと取り紛れて、読み終わってから感想を書くまでに、結構時間があいてしまった。
 九州山口の戦国大名が、中国をはじめとする大陸と、どのような関係を取り結んでいたのかを明らかにする。やはり、大友氏がメインになって、他の戦国大名に関しては、少々物足りないようにも思うが。島津家を中心においてまとめたら、また、かなり違った像が見えてきそう。
 金銀が大量に輸出されるようになる前には、日本からの主要な輸出品は、火薬の原料となる硫黄であったというのが興味深い。石油精製の途中で出される硫黄分を生成するようになる以前は、大量の硫黄が採掘されて、前近代には輸出もされていたと。日明貿易でも、数十トン単位で船積みされていた。これ、日本に鉄砲が普及した後は、どう変わったんだろうな。
 あとは、熊本県内で銀の採掘が行われていたという話も、なかなか意外な話。あさぎり町の宮原で採掘されて、それを原資に、中国に船を送ったと。菊池氏も、海外交易で富を蓄えていたという話が、服部英雄『蒙古襲来』であったな。高瀬は、国崩が陸揚げされた港だしな。つーか、前近代に、玉名から大分まで、大砲を運ぶって、どれだけ苦労したのだろうか。


 西国大名の遣明船貿易が、勘合で公貿易ができればそのままで、拒絶されたら、今度は別の地域に回って密貿易という二段構えだったという話が興味深い。
 あるいは、大友氏が伽藍岳や九重山地周辺で、硫黄の搬出路を掌握するために、直轄地を増やしていた話とか、薩摩硫黄島からの硫黄の産出の話。硫黄山地の社会構造の話。
 中国からの移民「唐人」の話も興味深い。人によっては、意外と足跡が追えるのだな。あと、陳元明の一族にみる、港町への拡散の姿。九州から周防の港町に。この中で松橋や川尻が出てくるのが印象的。かれら唐人は、港町のコミュニティに溶け込み、日本の宗教文化を受容、地元の社会と開放的な関係にあったと。
 あるいは、西国の大名たちが、東南アジアの諸国家と、独自の外交を試みていた姿。自前で船を準備して、使節を派遣していた。あるいは、そのような外航船を抑留するようなこともあったと。こういうのも、東南アジアの商業ネットワークに乗って行われたとは思うけど。どういう国があるのかとか、、航路なんかの情報は、誰が持ってきたのだろうか。あるいは、割とカジュアルに、日本の宗教文化にひきつけて、キリスト教が受容されていた姿とか。


 トピックとしては、すごくおもしろいのだが、大友氏を代表とする九州山口の大名が、「どっちを向いていたのか」みたいなところは、いまいち不明確な感じがする。唐物を独占的に確保し、それを元手に、日本国内での威信上昇を図ったのか。あるいは、もっと西を向いて、独自の国家を志向したのか。九州に離心的な心理があったのは確かなんだろうけど。