平川新『戦国日本と大航海時代:秀吉・家康・政宗の外交戦略』

 なんか、読むのにめちゃくちゃ時間がかかったな。図書館への返却期限ギリギリ。前半が、とにかくダメで。正直、買わなくて良かったといった感想。
 もうね、序章で「世界最強といわれたスペイン勢力」なんてフレーズが出てきたところで投げ捨てそうになった。18、19世紀の欧米列強の姿を、それ以前の時代に投影してしまったために、歴史認識がおかしくなっている。この時代、ポルトガルは、ぶっちゃけまともな武器もないモルッカ諸島の維持もできない雑魚だし、スペインもマニラにしがみついていただけ。ポルトガルは、インドやアフリカ大陸のモザンビークで1万人程度の兵力を動員しているけど、それだけの兵力を東アジアで運用できたとは思えない。マカオに1万人もの兵員が移動してきたら、流石に明を刺激するだろう。スペインに至っては、太平洋を年数隻のガレオンが渡ってくるだけだぞ。
 というか、イエズス会の宣教師の夜郎自大ぶりがすごいな。1万の兵士がいれば、明や日本を征服できるって。疫病に助けられて中南米を征服し、東南アジアの港市国家をいくつか占領しただけで、えらく態度がでかくなっているものだ。インド亜大陸やアフリカ大陸では沿岸の港町や交易拠点を確保しただけ。そもそも、地中海沿岸地域で、スペインがオスマン・トルコに押されまくっていた状態で、なんでこんなに強気だったんだろう。
 西日本でうまく大名同士をかみ合わせれば、キリスト教勢力による日本制圧のワンチャンあったかもしれないが。島津や大友、大内、毛利と互角の争いをするのが関の山だったのではなかろうか。実際、島津の九州制圧の勢いを押し留められず、秀吉に介入を要請する状況だったわけだし。


 終章で、ヨーロッパ人が日本を「帝国」として理解し、将軍をエンペラー、大名を王と呼んだことを重視しているけど、この時代のヨーロッパ人のモデルとなる「神聖ローマ皇帝」が、ドイツ人の神聖ローマ帝国と称されるくらい価値が低下していたわけだしな。複数の領邦を束ねる国民国家サイズの政体を「帝国」と呼ぶことに抵抗はなかっただろうな。ローマ皇帝中華帝国の皇帝みたいな価値はなかったのではなかろうか。
 そもそも、その正真正銘の「ローマ皇帝」たるビザンツ皇帝は、100年以上前に滅び去っているわけだし。


 信長の海外進出発言、外国人に気が大きくなってほら吹いた。さらに、日本にいる宣教師が活動を大きく見せるために誇張した。二重にバイアスがかかる可能性があるから、真面目に取り上げる必要性があるのか疑問。そういう発言ができる地理認識があったことは確かだろうけど。


 後半は、割とおもしろい。
 秀吉、家康と天下人の代を重ねるごとに、外交権の一元化が進んでいく。各地の大名それぞれが、独自に外交を展開していた多元状況の克服の流れ。
 その、外交権の一元化が完成する瀬戸際で、領内に限りキリスト教布教を認め、帰路のガレオン船寄港による貿易振興を図る伊達政宗。それに対し、キリスト教排除を目指す徳川将軍である家康、秀忠。その妥協の産物としての慶長遣欧使節
 日本で、メキシコと往復できる船が建造されていたというのがすごいなあ。ポルトガルやスペインは、木材資源の供給で苦しんでいたはずだから、木材資源の供給源としての日本の存在感は割りと大きかったかもしれない。