青函連絡船史料研究会編『青函連絡船:乗組員たちの証言』

 ムック形態だから、ビジュアルメインだろうと思ったら、思った以上に文章メインだった。おかげで、少々時間がかかった。
 船長、航海士2人、機関長、事務長、船舶通信士、航海掛の6名のインタビューが3/2程度を占め、残りは青函連絡船の解説。定時運行が求められるだけに、いろいろと苦労があった。特に冬場は、荒天、特に北西の風のときに荒れるし、流される、と。さらに、津軽海峡が、多数の船が行き交う海路の要衝であったことも苦労の原因であったと。米軍の空母なんかには遠慮していたという話が興味深い。
 船の当直って、船長と機関長は外れているのだな。で、何かあったときに責任を取るポジション。トラブルがあったときに、一歩引いた所で見ているから、冷静に判断できると。V型のエンジンは、ピストンの整備が大変だったというのは、なるほどといった感じ。
 航海士が、それぞれの船長の特徴を飲み込む必要があったという話もおもしろい。命令の出し方やブリッジから降りた後の過ごし方とか。任せきりにする人、神経を研ぎ澄ましている人。声が小さい人が困るというのは、なるほどと。
 1970年代あたりでもモールス信号で、VHS通信は海峡中心あたりでは聞こえなかった。気象データを送信していた話。あるいは、船長や航海士の命令にしたがって、実際に操縦を行う航海掛。ヒーリングタンクによる重量バランスの調整。あるいは、実際に接客業務に当たる事務長。戦後すぐあたりまでは、司厨長が人事や物品発注を握っていて、影響力が大きかったが、そのうちに管理部門がやるようになった。チップ制度がある時期まで残っていた、などなど。


 後ろのほうは、青函連絡船の解説。貨車航送がメインだから、青函トンネルが出来てしまうと、アレだけの船を維持する意味がなくなるわけだ。それ以前から、貨車の輸送量も減っていたようだし。あと、意外と連絡船の時代が短かったのが印象的。20世紀に入ってから。70年くらい。貨車航送はもっと短い期間。むしろ、戦争の必要性によって、拡大した。さらには、米軍の攻撃や洞爺丸事件などの多くの犠牲者を出した事件など。
 基本的なイメージが作れる本といった感じ。一般配置図も嬉しい。