新見志郎『水中兵器:誕生間もない機雷、魚雷、水雷艇、潜水艦への一考察』

 魚雷が主力艦を食える兵器になったのが、ちょうど第一次世界大戦の頃だったのだな。
 水中で爆発させて大型艦を撃沈するアイデアは、19世紀初頭から存在したが、それが実用兵器となるのが、19世紀半ば南北戦争の頃。港湾への大型艦の侵入を阻止し、艦船の撃沈に成功している。普仏戦争で、キール軍港への侵入を阻止した管制機雷とか、戦略的に大成功しているなあ。
 ここから、さらに、この水雷を攻撃的に運用しようとする試行錯誤が、半世紀ほど続く。小舟の先に突き出した棒の先に爆薬をつけたスパー・トーピード。敵船のそばに忍び寄って、棒の先の爆薬を爆発させるとか、ど根性とかいうレベルではないよなあ。そこから、曳航式魚雷。自前で推進力を持った魚雷へと発展していく。そもそも、まっすぐ進ませるのが至難の業だったという。そのため、途中で、水上に目印を出した誘導魚雷という回り道の末に、今に続く魚雷が出現する。
 港湾に停泊中の主力艦を襲撃して撃沈できるようになったのが1895年の威海衛襲撃。そこから、航洋艦である駆逐艦に発展していく。そして、魚雷の潜在能力を開花させたのが、見えない水中から忍び寄り、主力艦のどてっぱらに魚雷を撃ち込む潜水艦、と。その潜水艦も、アイデア自体は古くからあったが、水中では電動モーター、水上ではディーゼルエンジンを使う、現代に続くタイプは19世紀末に出現し、1910年代に形が整った、ピカピカの新兵器だった。


 よく考えると、水上戦闘艦が、昼間、魚雷で大型艦を食った事例って、ほとんど存在しないよなあ。艦隊を組んだ戦闘で、雷撃は厳しい。そう考えると、やはり大型軍艦の砲撃は強いなあ。
 例外は、沿岸での魚雷艇待ち伏せとか、夜戦がメイン。
 一方で、抵抗力がなくなった軍艦のとどめ刺しは、よく使われる手法だな。1884年清仏戦争では、大破しつつ、抵抗を続ける清国軍艦揚武のとどめを刺すために、スパー・トーピードーが使用されている。これは、後に多用される手法の嚆矢だな。死にかぶっている船なら、竹槍突撃みたいなスパー・トーピードでも何とかなると。