くまもと文学・歴史館「アーカイブズに見るくまもと21:日本談義/どうする人吉藩:米良山毒薬事件!?」

 今回も、第一展示室が閉鎖中なので、常設展示室の中央付近を使ったミニ展示。前者が11点、後者が5点の展示。


 前者、近代文学の部は、1938(昭和13)年から1982年まで、荒木精之が編集を行っていた地域雑誌。名前しか知らなかったが、こうして目次を見るとおもしろそうだなあ。1953年の熊本大水害の特集号がすごく興味を惹かれる。時事的な史料として、どう使えるのかな。
 あと、創刊号では目次が見られるようになっていたが「九品寺雑記帳」とか「水道端より」とか地域性の強そうな記事があって、内容が気になるところ。


 歴史パートは1684(貞享元)年に起きた米良山毒殺?事件に関する人吉藩史料の展示。
 椎葉山が人吉藩預かりだったのは知っていたけど、隣接する米良山も、人吉藩預かりだったのだな。鷹巣山として、焼き畑などの開発行為が厳重に規制され、交代寄合の旗本米良氏が、相良氏の監督後援のもとで支配を行っていた。参勤も、人吉藩の屋敷に滞在して行っていたという。
 で、その1684年、参府のために米良主膳が移動中、銀鏡の米良源太夫宅で休憩を取ったときに、家老米良四郎右衛門が急死。それ以前から四郎右衛門の関係者が同宅で体調を崩すことが多かったため、毒殺と断定され、源太夫切腹を命じられた。しかし、このような死刑を含む重罪の場合は、人吉藩の同意を得なければならず、それが問題となった。
 展示された史料は、米良山との境の番所の番人の証言、国元家老の詫び状、米良家老の詫び状など。
 人吉藩はこの毒殺事件についてだんまりを決め込んだけど、隣接諸藩経由で幕府の知るところとなり、藩主自らが幕閣に釈明しに行く羽目になった。そりゃそうだわな。家中の分裂騒動だし。米良家中からも、同意なしに切腹を命じたことに対する詫び状が提出されている。
 図書館側で関連書籍の展示があったけど、それによれば複数の居留地に分れた米良家臣団の内部対立という話だが。