田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する:海の哺乳類の死体が教えてくれること』

 国立科学博物館に所属する海獣類研究者による、一般向けに何をしているかを紹介する本。前半は、博物館業務やストランディング個体の調査解剖のお話。
 浮力で体を支えることが出来るため地上の哺乳類と比べるとワガママボディで、骨も重ければ、筋肉も多くて重い。かつ、体温を維持するための厚い脂肪層が発達していて、これが死後は魔法瓶状態で、外がいかに寒かろうが関係なく内臓が腐っていくという、なかなかの厳しい条件。
 さらに、自治体が粗大ゴミとして処分するため、その前の段階で折衝が必要。これに時間が取られる。ちゃんと調査ができるように、最初から何らかの決まり事を作っておけばいいと思うのだが。2002年に14頭のマッコウクジラが打ち上げられた時は、折衝に時間を取られて、さらに移動中のトラブルで一体だけしか調査できず、残りは海没処分。まとまった数の調査とか、良い機会だろうにもったいない。


 大型のクジラ類は、それこそ何十トンにもなるから、調査や遺体の処分、標本制作、どれをとってもお金がかかりそう。移動させるためにも、重機が必要なんだよね。
 骨を組み立てた交連骨格が1000万だそうだけど、その前の埋設や骨の輸送なんかでもお金がかかってるはずだから、本当に予算を食うのだな。
 あと、骨格標本を作るための埋設というも興味深い。単純に遺体を埋めるんじゃなくて、もう、内臓や肉を取って、骨をある程度分解して埋めるんだな。そうでなければ2年で回収とはいかないか。


 解剖で体に付く異臭を巡るトラブル。女湯では異臭騒動が出やすいとか、異臭対策のあれこれ。皮を剥ぐのも重労働で、15メートル以上の種では重機で引っ張るとか。


 p.66からのシロナガスクジラの赤ちゃん個体のエピソード、結局、遺伝子情報を比較して何が分かったのかが知りたいところ。2007年のコククジラのエピソードからは、胸びれがバンザイしていると、内部の腐敗が進んで、爆発の危険があるとか…


 後半は、クジラ類、鰭脚類、海牛類を一章ずつ紹介。
 第四章はイルカやシャチなど。まあ、小型のクジラ類。完全に水中生活に適応しつつも、やはり哺乳類である、と。魚は左右に体を振って推進力を生み出すのに対し、イルカは体を上下に振って推進力を発揮している。人類も、バタフライの時には上下に振るし、ここいらあたりの体の構造は共通する。鼻道に発声器官があって、下顎骨で音を受ける。あるいは、吸い込んで食べるために舌骨を超絶強化した進化や内臓が水圧に対応して丸っこくなっているなど、解剖学的特徴が興味深い。
 あるいは、沿岸に住むイルカであるスナメリの話。人間に近いところに住んでいるだけに、汚染物質や水質悪化の影響を受けやすい。
 後半は、2005年に起きたシャチのマスストランディングのエピソード。他所から回遊してきた群れが、流氷の急激な動きに対応できずに閉じ込められてしまった。脱出できたはずの大人が子供を助けに戻って、死んでしまったというのがなんとも。羅臼町の極寒の中でも、体温で容赦なく腐敗するのだな。そして、極寒の中での解剖作業。アザラシ類とイカ類を食べていた食べ合わせが珍しいとか、獲物を分け合っていたというのも興味深い。


 第五章は鰭脚類。アザラシ科とアシカ科、特に区別が付いていなかったけど、体の構造的にはかなり差があるそうだ。両者とも一部地上生活を残しながら、水中生活に適応している生き物だけど、その適応度に差がある。オットセイなどのアシカ科のほうが陸上生活の特徴を残している。前脚で体を支え、後ろ脚を前に曲げることができて、お座りができるけど、アザラシはべたっと地上に貼り付いて尺取り虫運動をするしかない。一方で、水中ではアザラシは後ろ脚で推進力を生み出す分、早いとか。
 水中性能が高い分、アザラシのほうが生息範囲が広い。
 鰭脚類のもう一つの科、セイウチ科は底生生物だけと餌の多様性がないためか、現在は一属一種にまで減少している。牙はメスにもあるということで、餌を掘るために使っていたりするのかね。
 ラッコも水上生活に適応していて、地上ではまともに歩けないとか。


 第六章は海牛類。ジュゴンマナティ
 なんか、オグロオトメエイのトゲがお腹に刺さって、内臓破裂で死んだ沖縄のジュゴンのエピソードが強烈すぎる。なんか、国からの要請で死因解明とか。辺野古関連なのかね。数日、苦しんでというのがなんとも。
 海牛類は、海中で生育する種子植物である「海草」を主食とする。それだけに浅海で生活する必要があって、人間の近くで、人間の影響を受けやすい。沿岸地域の開発などの影響を強く受けそう。つーか、トロそうだから、危険捕食生物たる人類の生息域と接すると食べられまくったんじゃなかろうか。それこそ、ステラー海牛のように。
 水面の海草を食べるマナティと海底の海草を食べるジュゴンで、相応に体の構造が違う。一方で、草食動物だけに腸の体積がでかくなる。背中側に肺があって、吊られるような感じで浮遊できる。また、骨格が重くできていて、肺の空気を少し抜くだけで潜行できる。原理としては飛行船みたいな感じだなあ。DNA分析から、アフリカ獣上目というところに分類される。ツチブタ、ハイラックス、アフリカ象とつながる生き物なのだそうだ。というか、アフリカ獣上目というのをはじめて知った。こういうのは、DNA解析あってこそという感じだなあ。アフリカ大陸が孤立していた時期があったため、独自種が繁栄した。一時は1200種ほどいたが、今は75種という。ずいぶん減ったのだな。


 最後は、まとめとして、なぜストランディング個体の解剖を行うか。
 死因を解明することによって、人間がその動物の死にどう関わったかを明らかにし、保護につなげるため、と。
 海洋プラスチック問題、それに密接に関わる残留性有機汚染物質の問題が深刻なのだな。海洋プラスチックが汚染物質を吸着して、それを飲み込んだ海洋生物の汚染を悪化させる。まだ、乳を飲んでる赤ちゃん鯨でもプラスチック片を飲み込んでいるというのが恐ろしい。
 海洋プラスチックを飲み込んだ個体のほとんどが、胃の中が空っぽというのが恐ろしい。