高橋慶史『ラスト・オブ・カンプフグルッペ 8』

 出てたのを把握できていなかったけど、最新刊。
 今回は、フランス総撤退中の装甲列車の戦い、ワルシャワ蜂起で悪名が高いSS第29武装擲弾兵師団“RONA”、まともに戦えた空軍地上師団である第21空軍地上師団、特殊部隊として著名なブランデンブルク部隊関連が3章、最後に水陸両用車LWSの各車両の戦歴を紹介する記事から構成。


 第一章「実録『鉄路の戦い』」は、第32装甲列車を取り上げる。
 装甲列車、いかつくていいよなあ。現実には、戦闘力は限られるようだけど。線路に規制されるから、どちらかというと後方での線路防衛、治安維持が活動の中心。
 初期のドイツ軍装甲列車が、基本的に、ポーランドチェコから鹵獲した車両を使用していたというのが印象深い。自前の装甲列車は1942年以降に生産される。
 占領下に置かれたフランスには、鹵獲装甲列車であるPz21、Pz22、Pz24、Pz25が入れ替わりで投入。さらに、自国生産のPz32も投入されている。どちらかというと、装甲列車って、その厳つさを見せることが大事なのだな。
 装甲列車戦力の増強のために、在フランスドイツ軍司令部の責任で建造された第32装甲列車。それだけに、仕様が他のドイツ製装甲列車とちょっと違うというか、旧スペックなのが興味深い。積んでる戦車も、ルノーP40戦車と、この装甲列車用に一両だけ改造されたソ連製122ミリ砲搭載ロレーヌ・シュレッパー自走榴弾砲という変わり種。というか、「ルノーP40戦車」って、R40の間違い?
 在フランス装甲列車の見せ場は、ノルマンディーのドイツ軍が突破され、南フランスにも連合軍が上陸。南フランスのドイツ軍総撤退の援護。車両が塞いでる線路の横に迂回線を作り、破壊された列車を撤去し、線路を修理して、ドイツ本国までの脱出行。しかし、第32装甲列車は、ボイラー水の不足で立ち往生。連合軍の先鋒に捕まって、放棄鹵獲。むしろ、戦後、ルネ・クレマン監督の「鉄路の斗い」に登場したりしている期間のほうがよっぽど長いのが趣深い。


 第二章「鉄十字と聖ジョージ十字の間に」は、ワルシャワ蜂起の時の略奪暴行で悪名高いSS第29武装擲弾兵師団“RONA”とその指揮官カミンスキーの物語。
 バルバロッサ作戦によるソ連軍の後退と、それによって起きた共産党権力の空白。ブリャンスク近郊に、それに乗じて出現した反スターリンコルホーズ自治区。その指導者がカミンスキーだった。
 ロコチ自治区とその自警団は、ドイツ軍の支援を受けながらパルチザンと戦い、勢力を拡大する。しかし、クルスクの戦い以降のドイツ軍の後退の中で、ロコチ自治区カミンスキー以下の自警団は本拠地を追われることになる。後退するドイツ軍と一緒に、西に動いていく。ロシア人民解放軍はSSに編入され、旅団として再編される。一方、一般住民はポンメルンに送られ、そこでソ連軍に虐殺されているという。
 ワルシャワで略奪暴行虐殺の限りを尽くした結果、カミンスキーは問題視されて、密かに処刑。頭領を失った部隊は解体されて、第600歩兵師団(ロシア)の補充兵になる。
 ワルシャワ蜂起の時点で、RONA旅団の兵士は自棄になっていたのだなあ…


 第三章「最強空軍地上師団伝説」ということで、まともに陸戦ができた希有な空軍地上師団である第21空軍地上師団を取り上げる。
 1941年冬に、戦場の火消し役として投入された空挺突撃連隊が、消耗して引き上げた後、連隊司令部に空軍野戦教育大隊を補充されて編成された空軍地上旅団が母体。戦場の火消し役として、大隊単位で各地に分散して投入されていた。
 その後、この連隊司令部を核に空軍地上師団の編成が下令されるが、なかなか形にならなかった。歩兵ばかりで砲兵の配置も相当遅れる。しかも、その砲兵は鹵獲フランス製野砲で、比較的小規模。それでも、砲兵の火力支援があるかなしかで、戦闘力は大いに違ったのだろうな。第22空軍地上師団に充てるはずだった砲兵部隊が宛がわれたり、なかなかのぐちゃぐちゃぶり。
 それでも、最初から地上戦をやるつもりの兵士と指揮官。歩兵戦力の充実。砲兵がちゃんと配置されたということで、まともに撤退・攻勢両作戦に従事できた、と。
 サンクトペテルブルクの南、デミャンスク包囲陣の近辺で長期間防衛戦に従事。その後は、エストニアラトビア国内に撤退。最終的に、ラトビア北東部、クールラント防衛戦で終戦まで戦い抜く。


 後半、第二部は特殊部隊や水陸両用部隊について。全四章中、三章はコマンド部隊であるブランデンブルク部隊関連。第一次世界大戦東アフリカでのゲリラ戦の経験から、敵の戦線後方に侵入しての攪乱や破壊工作を行う部隊を、情報部のしたに設立。ポーランド戦から独ソ戦の序盤、電撃戦の先鋒に先だって、民間人や敵兵に偽装して潜入。橋梁や駅などの確保に活躍。徐々に規模が拡大していく。
 個々の作戦に投入される兵力は少数だが、それを支援するための部隊は高度に機械化されていて、守勢局面では火消し役として運用されることになる。
 1943年に実戦部隊の管轄になって、野戦師団として編成。イタリア軍武装解除ユーゴスラビアの対パルチザン戦に投入される。その後、1944年にはルーマニアの枢軸国離脱によるバルカン半島撤退で、撤退援護にバラバラに各地に投入され消耗。さらに、ヒトラー暗殺未遂にカナリス提督が関わっていた疑いで逮捕されると、その実戦力として警戒された師団ブランデンブルクは、陸軍管轄の機甲擲弾兵師団に改編。戦車軍団グロースドイッチュランドの配備される。
 1945年初頭からのポーランドでのソ連軍の攻勢に対し、グロースドイッチュランド師団が引き抜かれて、ほとんどの期間、降下戦車師団ヘルマン・ゲーリングと組んで作戦を行っているのが印象深い。ソ連軍の攻勢のなかで、背後に回られながら、敵中突破で撤退していく。極末期にしては、機甲戦力がそれなりにある部隊として、最後まで戦い続け、最後はチェコで、第一戦車軍の撤退援護を行って、バラバラにアメリカ軍に降伏しようとしている途中、ほとんどの兵がソ連軍に捕捉されて降伏。
 ネーリング移動包囲陣を収容した顛末とバウチェン近辺の機動反撃作戦のくだりが印象深い。大戦末期のソ連軍の主攻勢正面では、もはやドイツ軍は偵察もまともにできない状況になるのだな。数万人規模の部隊が、総司令部から見て行方不明で場所も分からないというのがなんとも。一方で、空軍部隊が濃厚に投入されている前線以外では、空軍も活動可能。バウチェン解囲作戦では、末期戦には珍しく地上攻撃機部隊がソ連軍防衛線に爆撃を行った後、ドイツ軍部隊が突入している。


 第6章は、ブランデンブルク部隊から北アフリカに分派された沿岸猟兵大隊“ブランデンブルク”について。北アフリカでも水陸両用作戦や長距離偵察などの特殊作戦の需要があり、特殊部隊が編成された。その中に、ブランデンブルク部隊から分遣された部隊もあった。中央アフリカアルジェリア、チャド、ニジェール国境付近の連合軍の補給路の状況を偵察する長距離偵察作戦ドーラ。沿岸警備や奇襲上陸作戦に従事する熱帯大隊“ブランデンブルク”トブルク近郊への特殊上陸作戦や連合軍のチュニジアへの浸透の阻止、チュニジアからシチリアへの脱出などの戦歴がある。
 その後、沿岸猟兵大隊として再編。アドリア海イタリア軍武装解除クロアチア沿岸でのパルチザンとの戦闘などに従事。第一中隊はロードス島の防衛部隊突撃師団“ロードス”に編入。ドイツ軍の撤退に伴って孤立した同島で、周辺島嶼に浸透する連合軍やパルチザンと戦闘。ドイツの降伏まで頑張り続ける。


 ラスト、7章は、水陸両用作戦つながりで、水陸両用トラクター、ラントヴァッサーシュレッパー(LWS)の話。21-3両程度が生産され、陸軍の工兵上陸大隊一個あたり1両程度が配備されている。こういうかわいい車両、好き。
 あれば便利なんだろうけど、生産コストと引き合わなかったんだろうなあ。履帯とスクリューの切り替え機構なんかで、構造が複雑そうだし。そうなると、ジーベルフェリーや上陸ボートあたりの数を増やしたほうがいいかとなるわな。銃弾防護でも、装甲が施してあれば、まだ使い勝手がよかったんだろうけど、非装甲だとそこでも使い所が限られる。
 結局、牽引車だから、どこに居たのかくらいはわかるけど、具体的にどんなことをしていたのかはよく分からない、と。
 ケルチ半島からクリミア半島ウクライナ黒海沿岸での輸送活動、ユーゴスラビアギリシア沿岸での活動、アフリカでの活動、バルト海沿岸の島嶼での攻防戦などに従事。あとは、水陸両用のトレーラーとか、装甲化したLWA2とかの紹介もおもしろい。


 むしろ、こうなると工兵上陸大隊に焦点を置いた記事が欲しい感じが。ジーベルフェリーとか、重工兵突撃ボートとか、上陸ボートがどのくらい生産されて、どこで活動していたかとか、そういう所に興味が出てくるな。