肥後の里山ギャラリー「楼門修復記念:阿蘇神社展」

 タイトルの通り、倒壊していた楼門の復興が成った記念の展示会。阿蘇神社の様々な文物がどう受け継がれてきたかというのがテーマ。
 文書類、刀剣、楼門修理関係のパネルなどなど。
 基本的に写真撮影不可の展示だったけど、撮影可な楼門模型と蛍丸レプリカはバシバシ撮ってきた。


 肥後の有力国衆であった阿蘇氏。しかし、いったん滅びたあと、江戸時代には阿蘇社の神官としての性格に限定されてしまう。そこで、近世に入ると権威高揚のために、由緒の整理が始まる。所持していた文書が写され、中世に行われていた巻き狩り「下野狩」の故実が調査される。それらが、失われた元のものを補っている。
 あとは、細川綱利の阿蘇社への興味が印象深い。「下野狩図」は、綱利が描かせて、阿蘇神社に奉納したもの。江戸でも知られていて、松平定信からの閲覧要請が来ていたりするのが興味深い。蛍丸も、一度綱利に献上されて、その後子孫から返却されているという。


 社殿の維持管理のお話も興味深い。現在残る建物は、江戸時代末期、19世紀後半に建てられているが、熊本藩内の広い範囲から人が集まっていることが棟札から明らかになる。あとは、棟梁水民元吉があちこちで修行して技術を修めた、期待の人材であったお話とか。
 30年から40年くらいのペースで大規模な修理が行われている。こけら葺きや檜皮葺などの屋根材の耐用年数に沿ってのものらしい。銅板葺に変えたのは1977年だから、ホントに最近だな。
 倒壊した楼門は、内部に鋼材の柱を立てて、ダンパーなどを仕込んで耐震補強を行っている。ここいらあたり、宇土櫓と似たような感じか。折れた柱材には、アラミドロッドを仕込んで継いでいるとか。


 最初の出品物は、白川の河川改修で前方部を削られてしまった長目塚古墳の出土品。文化財の保存と開発の相克の事例として紹介。勾玉、管玉などの玉・ガラス製品が美しい。


 あとは、南北朝時代の文書が多数出品されている。後醍醐天皇の綸旨や足利高氏の髻文、阿蘇社領の四界を認定した雑書決断所牒などと、それを写した写本類。まさに阿蘇氏躍進の時代の現物が出品されているのがすごい。南朝方として一貫して活動した恵良惟澄の軍忠状も。


 続いては、中世阿蘇社で、大宮司家の権威を示すために行われた巻狩り下野狩の情景を近世に入って描いた「下野狩図」や阿蘇神社で下野狩の故実を蒐集した「下野狩集説秘録」が出品。近世に入っても、復興が模索されたのか。後者の史料はおもしろそうだなあ。大規模な巻狩りがどのように行われたのかを示す情報源になりそう。


 蛍丸レプリカを中心に、関連史料や阿蘇神社に奉納された刀剣が5本ほど出品されている。室町時代の拵えを残す短刀「月山」。あるいは、儀式用に使われていて最近、研ぎ直された太刀「宗近」と、サビや刃こぼれを残して儀礼で実用し続けることにした「伝雲生」の対比が興味深い。ただ、刀の美というのが、いまいち分からないんだよなあ。


 若狭小浜藩の藩主酒井忠直が全国の有名寺社に奉納した紫石硯とその奉納をめぐるやり取りを記録した文書も印象深い。


 蛍丸レプリカ。




 楼門模型。熊本工業高校で、五年がかりで製作された模型。でかい。