今村規子『史料でみる和菓子とくらし』

 江戸時代を中心に、和菓子を描いた絵画や和菓子についての記述、パッケージなどを紹介する本。写真が多くて、楽しい本。虎屋文庫の資料をメインに使用している。
 お菓子を配達する容器井籠を祝い事の時に積み上げる習慣とか、江戸時代のお菓子の現物が残っているとか、なかなか興味深い。
 返却期限が来たので、慌ててまとめているけど、まとめきれない。


 太陰暦の大の月と小の月を知らせる暦「大小」の判じ絵に描かれたお菓子類、お菓子を配達される際の輸送用箱「井籠」、お店の看板、習俗を描き出した「守貞謾稿」、お菓子屋の番付、和菓子の製法書が版本と写本の二項目、菓子見本帳、菓子袋、実物の菓子、手紙、茶会記と茶道具の12項目で、お菓子をめぐるいろいろが紹介される。
 砂糖が大量に流通して、現在のような果物ではない「菓子」が出てくるのが江戸時代のある程度時間が経った時期か。それだけに、お菓子にまつわる資料は、江戸時代以降のものがメインになる。


 第二項目の「井籠」は、お菓子の運搬容器で、重箱とそれを収めた外箱から成る。祝い事の際に、蒸籠を積み上げる積蒸籠という風習があって、遊女のデビューや歌舞伎の顔見世などの際に積み上げられた。それが、菓子店のコマーシャルになって、「竹村伊勢」とか、「虎屋高林」などのお店の名前が浮世絵や歌舞伎の書き割り・台本に残る。相撲の興行には、井籠だけでなく、酒樽や俵を積み上げたとか。
 実際にお菓子の配達に使われて、相応に傷む。お店ではまとめて製造購入する。虎屋では、30組とか、50組で作られた。虎屋に伝わる螺鈿の重箱が美しい。と同時に、実際に使用されるために、清掃で螺鈿の貝や金彩が剥がれてしまっている。


 第四項「随筆『守貞謾稿』」は、喜田川守貞によって、身近で些細なことを拾い集めて綴った、江戸時代の習俗百科的な随筆。ほんと、当たり前のことをわざわざ書かないから、こういうの重要なんだよな。江戸と関西の身近に接したことが書かれている。習俗の東西の違いとか、時代の変遷などが書かれている。


 第五項「番付」では、菓子屋の名乗りがおもしろい。高級品のお店は、律令国の掾という律令官名を名乗る。これ、どこまでが与えられた称号で、どこまでが自称なんだろうか。鈴木越後とか、金沢丹後とか、幕府の御用を受ける大手は、だいたい名乗っているな。
 そこから、「守貞謾稿」によれば、江戸時代後半には堂や園、亭などの雅号的な店名に変遷していっていると。


 第十項「実物の菓子」は、江戸時代から明治あたりから保存されてきた実物のお菓子について。腐りにくい干菓子系がメインのようだが、残していあるんだな。
 旧暦十月の亥の日に天皇や将軍から下賜される亥の子餅は、保存されて、お守りや病を治すとされて珍重されてきたという。東京国立博物館や京都学・歴彩館などに保存されている。あとは、天草の石本家にもあるという。天皇が息を吹きかけるのが大事というのは、興味深い。
 下賜品では、広島に落雁が残っていたり、1945年に香淳皇后が配った慰問品のビスケットが保存されていたりするという。
 また、明治に来日したエドワード・モースのモースコレクションにも、落雁や干菓子がたくさん残されている。日本よりも、アメリカのほうが、気候的に保存しやすそう。貝の干菓子や、落雁金平糖などが残っている。
 細川家がマルメロを使って作った「カセイタ」という菓子を名物としていたが、明治17年のものが保存されているという。それにふさわしい茶会が開かれないと、使われないまま残る、と。現在、宇土ではマルメロの生産が再開されて、マルメロのカセイタも、年に一回程度販売されているけど、限定されているんだっけか。
 食品だけに、博物館で保存するのは、なかなかの苦労があると言う話も。


 第十一項は「手紙」。お菓子に関わるお手紙が紹介される。冒頭の室生犀星の「フジムラノヨウカンタノム」とだけ書いたはがきが、すごい迫力w
 お菓子作りを通した大名間の交際もおもしろい。弘前藩津軽寧親がお菓子作りが趣味で、あちこちに贈っていた。福山藩主阿部正倫とは、師弟関係。あるいは、弘前の菓子が高品質のため、松前藩主から贈って欲しいとねだられていたり。将軍家定がカステラや饅頭を自作していたとか、割と製菓は上級武士の趣味としてあるあるだったらしい。
 芥川龍之介がめちゃくちゃ大量に菓子を食べていた話とか、夏目漱石の贈答の礼状とか。甘党の文豪については、情報が残りまくるのか。


 最後は「茶会記と茶道具」。茶の湯にも菓子は不可欠のもので、お菓子の史料としては、重要。
 砂糖が普及する以前の茶会の「菓子」は、概念が広くて、果物や牛蒡、山芋などの根菜類、椎茸、昆布なども含まれていた。茶会の「菓子絵」は、果物や野菜の静物画だったが、後に果物などが「菓子」から外れていくと、使われなくなっていくという。
 あとは、拝領菓子の形を香合で再現している姿とか。


 他にコラムが付されているけど、羊羹の起源が興味深い。最初は、文字通り羊の羹(羊肉のスープ)として、中国で食されたもの。それを中国に留学した禅僧が持ち帰るけど、日本では羊肉の供給が少ないし、禅寺では肉食禁止で、小豆で代用品を作った。その代表品部分が独立したのが、現在の羊羹に繋がっていく。スープの段階の羊羹が気になる。


 文献メモ:
赤井達郎『菓子の文化誌』河原書店、2005
浅野秀剛「菓子袋・菓子箱と商標」『和菓子』19号、2012
猪原千恵「江戸時代後期の菓子木型から見た大名家の交流:尾張藩御用と紀州藩御用の菓子木型を中心に」『和菓子』22号、2017
岡崎寬德「大名の手製菓子と贈答」『和菓子』25号、2018
中山圭子『江戸時代の和菓子デザイン』ポプラ社、2011