連続テレビ小説「ばけばけ」にあわせて、あちこちで小泉八雲関係の企画展が開催中。くまもと文学・歴史館の本展は、前半が1/7までということで、慌てて見に行くことに。
県立図書館が所蔵する資料のみで構成されている企画展。熊本を舞台とした作品がけっこうあるので、収集していたのかな。
全体としては、「イラストレーター小泉八雲」、「小泉八雲がいた頃の熊本」、「作品に描かれた小泉八雲」、「熊本を舞台にした作品」の構成。
第一章「イラストレーター小泉八雲」は、そのままの話。アメリカ時代に、ニューオーリンズなどで記者をしていた時代、絵入りの記事が人気だったという。アメリカで出版されたハーンの伝記から、アメリカ時代の記事に添えられたイラストが見られる。風刺画が多い感じか。
息子が編集した『小泉八雲秘稿画本:妖魔詩話』は、『狂歌百物語』を部分翻訳した際の原稿の複製本。こちらにも、妖怪を描いた戯画がたくさん。シンプルな線で、割と雰囲気のある絵。狐火、船幽霊、平家蟹、海坊主の絵が紹介されている。
第二章「小泉八雲がいた頃の熊本」は、所蔵している公文類纂から、公文書からみたハーンや、ハーンが描いたことに対する裏付け書類、友人のチェンバレンとの文通など。
当時は、外国人が動き回る場合には、「外国人遊歩免状」が必要だった。これに関する公文書「第五高等学校へ傭外国人之儀ニ付照会案」は、ハーンの後任スイス人フィーデルの経歴や家族などについて照会すると同時に、やめたハーンの免状返納を指示する文書。
同時期の外国人教師についても興味深い。熊本英学校と付属熊本女子学校に四人の教師が在籍していたが、月給が20円で、官立学校に勤めるハーンは200円と桁が違った。
1875年の「雩願」の願書も印象深い。宇土や下益城では、干魃の際に雨乞いの儀礼が行われた。これが、ハーンの『東の国から』所収の「夏の日の夢」に描かれている。
あとは、友人、バジル・ホール・チェンバレンとの文通を示す書簡が展示。
ハーン側からは、ある丁髷をかたくなに切らない老商人が、家賃を滞納した際に、何でも持って行って良いと言ったために髷をぶった切られた話。切ったから、商売が好転するのかねえ。チェンバレン側からは索引作成などについて。あとは、チェンバレンがハーンを訪ねてきた際の、密偵による調査記録。
世相として、外国人に神経質だった時代。
第三章「作品に描かれた小泉八雲」は、回顧や小泉八雲を登場人物とした小説など。こうしてみると、割と新しい時代のミステリー系のお話が多いのが印象的。
妻のセツ、息子の一雄の回顧録は、けっこういろいろあるのか。
小泉一雄原稿「父八雲の想ひで」で、「徳富蘇峰がハーンを『世界の風来人』と評したことを知ったら、本人は意を得たりと喜ぶだろう」といったことが書いてあるのが印象深い。ここではないどこかに行きたい思いが常にあったということなのかね。「妻子の生計が保証されるなら」と留保がついて、結局、そちらを重視したあたり、なんだかんだ言ってまともな人だな。
最後は、熊本を舞台にした作品ということで、『東の国から』より「柔術」、「石仏」、「生と死の断片」、「九州学生」、「願望成就」、『日本雑記」より「橋の上」が当該ページを示して、紹介される。
これとは別に、常設展示室に八雲作のチリメン本が5点ほど展示。