作品社編集部編『犯罪の昭和史3:現代昭和35年-昭和59年』作品社、1984

少年犯罪に関して、最近の「不可解な」殺人に似た事例がないか、調べるために借りた本。
結論から言えば、上の宮台・香山著が言うところの「人と物の区別がつかない」「底が抜けた」少年は、かなり前からいたのではないかと思う。
本書に収録されている「杉並・少年通り魔事件」(p.87-98)は、酒鬼薔薇の事件に似た性格を持っているように思われる。
詳しくは、杉並少年通り魔事件連続少年切り付け魔事件を参照されたい。
以下、ごく簡単にあらましを説明すると、1963(昭和38)年から2年間に、杉並区を中心に、男児への性器損傷を含む、傷害が十数件発生し、また、警察に切り裂きジャックと名乗って脅迫状が送られた。犯人は、杉並区の高校生だった。
注目すべきは、本書に収録されている、精神鑑定時の受け答えだろう。

(自分で陰部を切られたらどう思うか)
いやです。
(どうして?)
いやだからいやです。
(それじゃ他人も嫌だろう。他人には平気なのか)
はい。
(他人はどうなってもいいのか)
私とは関係ないから。
  (中略)
(それじゃ、人がむごいことされても、黙ってみているのか。面白いか)
慣れてしまえば平気だ。
(人を殺すことを空想したことがあるか)
殺人の仕方とか(反問)。
(そう云うことだ)
ある。

このあたりのやり取りを見るにつけ、「人と物の区別がつかない」「底が抜けた」少年は最近増えたものではなく、かなり昔から一定程度の割合いたのではないか。
少年犯罪は、「凶悪化」していないのではないかと思う。


本書は、当時のジャーナリズム的な文章を集成したものだけに、事件を今の眼で検証するにはあまり向いていない。
しかし、本書からでも、1960年代から少年犯罪の質はそれほど変わっていないのではないかと考えることはできる。
1979年の祖母を殺害し自殺した少年(朝倉少年祖母殺害事件)、1980年の金属バット殺人(予備校生金属バット殺人事件)にしても、かなり現在の少年殺人と類似した雰囲気を感じる。
少年犯罪について騒ぎ立てるのは、やはりおかしいのではないか。