J・ジェイコブス『アメリカ大都市の死と生』途中放棄

アメリカ大都市の死と生 (SD選書 118)

アメリカ大都市の死と生 (SD選書 118)

自滅する地方都市4 街づくり像で、既存の都市計画の理論をひっくり返したと評価されているのに興味を持って読んでみた。読んだ限りでは、非常に興味深い。というか、ある種、当たり前の指摘で、これが視野から外れていた都市理論が異常とも言えるのだが…
が、訳文がひどい。ものすごくひどい。大学一回生なみ、かつあからさまな誤訳が散在。ちゃんと訳したのだろうか。抄訳という編集方針も含めて、編集が仕事してない感じ。これなら、英語の原書を読んでも時間的に変わらないというほど、読むのに難渋する。これには、組版の問題もあるのかもしれない。
議論としては、現在から見ると実に穏当な指摘。街区には複数の昨日をもたせる。近隣のゆるやかな人間関係と住人の目が街路の安全性を向上させる。街路の人通りの重要性。個人商店の機能。公園等のオープンスペースは、単純に設置するだけでは機能しない。周囲との関係が重要である。など、実に啓発される。
以下、メモ:

このようにあちこちの部の中に遍在する一つの主題というのは、経済的にも社会的にも常に相互に相互に支えあうことのできる、非常に入り組んだ、密度の高い多様な活用能力をもった都市の必要性ということである。この多様性の構成要素は、互いに非常に違ったものでありながら、互いに確実で具体的な方法で補いあわねばならない。
うまく行っていない都市地域というのは、この種の複雑な相互捕捉を欠いている地域だと思われる。… p.23


まず考えなければならないことは、町の平和――すなわち歩道や街路の平和――は元来警察の手によって守られるべきものではないとうことである。公衆の平和は、元来人びとが自分たちの間で自発的にコントロールし、標準化した、複雑でほとんど意識されない細かい仕組によって、維持されるべきであり、さらに彼らの手で強化されるべきである。p.41


商店の全く冷淡な態度はショッピング・センター建設計画、あるいは威圧的な地域性の設定によって、人為的に都市の近隣住区を対象とした商業的独占がもくろまれるような地域では、ごく普通に見られる現象である。こういった独占手段によって、計画通りに経済的成功は確実になるけれども、このために都市は社会的に失敗のうき目を見ることになる。p.86-7