橋本毅彦『の哲学:スタンダード・テクノロジーの300年』

“標準”の哲学―スタンダード・テクノロジーの三〇〇年 (講談社選書メチエ (235))

“標準”の哲学―スタンダード・テクノロジーの三〇〇年 (講談社選書メチエ (235))

 「標準」「互換性」「規格」といったのもが、どのように出現し、どのように広まっていたのかを描いた書物。非常に得るところの多い本。
 第1章は、「互換性部品」の起源。18世紀後半のフランスにおいて、軍のマスケット、野砲の修理・補給の便から、考え出されたこと。それは軍の工廠においては強制の形で導入されえたが、民間の職人らには拒否された。また、「互換性部品」の導入が経済性の問題ではなく、兵器の補修の観点から導入されたという指摘は興味深い。続いて、第2、3章はアメリカ式生産システムの普及についての概観。ここでも軍需との関連。スプリングフィールドとハーパースフェリーの軍工廠から、工程ごとに専用の工作機械を使用する「アメリカ式生産システム」が拡大した。ここで経験を積んだ機械工が、各地の銃生産業者などに散っていった。ここで、コルトのリボルバーが必ずしも完全に互換性を持っていたわけではないことが指摘されていて興味深い。
 アメリカでこのような生産方式が発展できたのは、アメリカでは熟練労働力が少なかったことが「古典的見解」となっている。それと同時に、ヨーロッパでは労働者の持つ社会的な力が強かった(同業組合的結合など)のに対して、アメリカでは労働者の持つ力が弱かったという理由もあるのかもしれないと思った。また、イギリスなどでは軍需以外では、オーダーメイドの狩猟用ライフルなど贅沢品のとしての需要しかなかったが、アメリカでは開拓者・州兵などに必要な安価な実用品としての銃の安定した需要があったことも大きな要因だろう。そのような苗床で培われた土壌、工作機械メーカーが、その後、ミシン、自転車、タイプライターなど多数の部品を必要とする大量生産品に広がっていた。それは最終的にフォードシステムとして大成する。
 第4章はネジの規格を題材に、「互換性」から「標準」への「発展」を扱う。ねじ山の規格は、イギリスのウィットワースがいろいろな工場のねじ山の角度の平均から出した55度ものと、セラーズが提唱したアメリカの60度のねじ山の規格があったそうな。このあたりの結局どの数値を選ぶかの幅が興味深い。このような規格は、鉄道や都市のスチーム暖房など、多数の部品を多数の製造者が供給するシステムで採用されていった。しかし、社会一般に広がるには時間がかかり、最終的には第一次、第二次世界大戦による経済的動員がこれら「標準規格」を定着させたという。軍需産業から始まり、総力戦によって定着したという来歴は、「標準」というものの戦争との密接な関わりを示している。アーネスト・ヴォルクマンの『戦争の科学』(ISBN:4072350168)では、戦争と科学が相互に補完しながら発展してきた歴史を示し、『長篠合戦の世界史』(ISBN:9784495861513 )や近年の歴史学は国家の制度に対する戦争の影響、いかに軍隊を賄うかを探求している。現代社会に刻印された「戦争」の深さ、いかに近代社会が戦争と共に育ってきたか。倫理的な問題ではなく、現代の社会の成り立ちと戦争の関係の探求は非常に興味深く、また重要だという思いを強くする。
 第5章はテイラーの「科学的管理法」やギルブレスの動作研究、第6章は「標準化」の展開と限界について。国際的な「標準」の動き、GMとフォードの覇権交代に見る標準化の限界、標準化と個性、標準化が苦手な日本人とアンチテーゼ的なトヨタ多品種少量生産の話。第7章はデファクト・スタンダードの考察。標準の経路依存性。疲れてきたので、いい加減だが…

このGMとフォードの競合の話は、徹底した標準化による大量生産が平時の経済市場でもつ欠点を象徴的に示すものである。市場の嗜好への適応性に欠ける場合があるという弱点である。p.169

普通に考えると、「標準化」へのインセンティブってのは社会的にはあまり無いのだろう。


本書を読んでいると、「標準化」の歴史は人間の道具化の歴史だな強く感じた。
この標準化・互換性という手法は、人間の行動の改造を必要とする。それに対する反発は激烈なものであった。本書でも、そのような摩擦についての記述がでてくる。
そして、その道具化・行動の改造を正当化するイデオロギーとしての「効率」の宗教性とでも言おうか、そのようなものが興味深い、というか見ていて気持ち悪い。このあたりの「効率」「進歩」の問題は、現在読んでいるザックスの『自動車への愛』にも見られる。

 ハーパースフェリーの職場環境は、ダンが来るまではいわばスタップルフィールドと彼の義兄の二人の親分の下での村落共同体のようになっていた。二人が利権を享受する一方で、職人たちはかなり自由気ままな労働と生活を営んでいた。作業中でも一段落着けば、一服とばかりにウィスキーを一杯飲みながら歓談する。時には外に出て、庭で闘犬や闘鶏に興じたりボクシングやレスリングに汗をかく。…職工だけでなく所長自身もこの日常生活を楽しんでおり、両者の間柄は親密で、暗に相互の利害と権利を尊重するようになっていた。

 要するに、ハーパースフェリーの職場では、産業革命とともに出現する近代的労働形態とは異なる前近代的な労働慣行が通用していたのである。リーがニューイングランドに持ち込みダンが励行しようとした規律は、こうした職人の自由を奪い、今までの慣行を破壊するものと職人たちには思われた。このような事情を背景に、殺人事件は勃発し、しかも殺人犯は元同僚の職人たちから英雄扱いされるという事態が生じたのである。しかしこの事件を機に、ハーパースフェリーには軍人の所長が送り込まれ、軍隊的な環境の下で規律が励行されることになる。
 専用工作機械による互換性部品の製造、そして標準モデルの組み立てという製造方式を進めるための前提と考えられた厳しい規律は、それまでの伝統的な仕事の仕方や労働慣行とは大きく対立するものだった。ここには、技術自体と、技術を実際に遂行していく人々の仕事の進め方やそれをとりまく制度・伝統・文化との関係を見て取ることができよう。新しい生産方法を導入するためには、今までの伝統を断ち切ることが必要とされ、ハーパースフェリーではそのために軍隊的強制の導入が必要とされたのである。p.58-9

このような軋轢が存在し、工廠長の殺害事件まで発生している。で、その後、「科学的管理法」「テイラー・システム」の教祖となったテイラー氏は、

クエーカー教徒と清教徒の家系に生まれたということで、酒も嗜まなければコーヒー、紅茶も口にしない。ただ工作作業の最善の方法をつきとめて習得したいという(p.124)

そんな御仁だったそうな。「プロテスタンティズムの倫理」というか、今でも欧米社会に見られる、なんというか一色の思考法が見られる。

 テイラーは、パラメーター・バリエーション法を利用した科学的方法によって、工作機械による金属材料の切削の最も効率的な方法を見出すことに成功した。少なくとも、経験や勘に頼る機械工の方法よりも優れた切削法を手に入れたと彼は確信した。この確信は、監督者と機械工の関係について重大な見直しを迫るものだった。…作業の最も効率的な方法が一意的に定められるとするならば、残されたことは、労働者となった機械工に標準的作業法を見につけ、いかに速く、いかに多くの仕事をこなしてもらうかにということになる。そのために彼はストップウォッチを使って、一つの作業にどのくらいの時間が費やされるか測定した。p.138

金属切削の効率的な方法の追求から、それの一般的な適用の段になると、えらく専制的になるのが興味深い。
以下、疲れたのでメモだけ:

 テイラーはこのような効率化を目指した管理法を実地に移そうとしたが、それに対して工員たちの中には抵抗を示すものたちも現れた。彼らはテイラーが仕事の増加を無理強いしているように思った。後にテイラーによって著された『科学的管理法の原理』には、テイラーと機械工たちの間の葛藤が記録されている。
 機械工は課業が増やされると、機械の部品を一部壊して故障を起こさせたという。機械を限度以上に酷使したから故障が起こってしまったのだと、彼らは暗に主張した。だが管理者側はテイラーの言い分を全面的に認めて、故障を起こしたときは操作をしていた作業者に罰金を課すようにした(罰金は従業員の厚生福利に当てられた)。その結果、故障は起こらなくなったというのである。p.139-140

 テイラーとその弟子たちが作り出し広めていった科学的管理法は、その後どのように社会的に受け入れられていったのか?
 その過程はとても平坦な道のりではなかった。効率的な作業の創出によって生産コストを下げようとするテイラーの管理法は、労働者の側から強い反発を受けることになる。すでにミドベールの工場において経験していたように、ストップウォッチを利用して作業時間を測定し、最大効率で働かされることに、職人たちは強い反発を示した。とりわけ政府のウォータータウンの兵器廠で起こった強い反対運動はストライキに発展してしまう。それまでテイラーの弟子のカール・バースによって順調に機械の入れ替えや高速度工具の導入、計画室の設置など順調に科学的管理が進んできていたが、時間研究の段になって猛反発を受けたのである。
 その四ヶ月前の一九一一年四月に下院に設置されていた特別委員会において、科学的管理法についての調査と公聴会が進められることになり、テイラーをはじめとする科学的管理法の専門家、労働組合関係者、軍関係者、実業家などが喚問され実情について証言した。その結果、科学的管理の禁止を定める立法は避けられることになった。だがウォータータウン兵器廠の労働組合は陸軍長官に嘆願書を送り、議会で討議がなされた末に、政府の工場や郵便局においては時間研究などの導入は禁止されることになった。p.151-2

 技術者出身であるフーヴァーは、経済と政治の世界に技術的な効率性をもち込んだ人物でもある。それは、十九世紀末から米国内で起こった効率性を目指す運動、また今世紀に入ってからの技術者中心とするテクノクラートの運動を体現するような活動方針であった。p.166