フィリップ・カーティン『異文化間交易の世界史』

異文化間交易の世界史

異文化間交易の世界史

 ここ数年来の積読を撃破。
 「交易離散共同体」を軸に世界の交易の歴史を描いた大作。理論的考察、アフリカの交易離散民、古代から近代の主にインド洋を舞台とした交易史、アルメニア人の内陸交易、北米の毛皮貿易、帝国主義時代の交易離散共同体の衰退といった順番で扱われる。地域・時代的に偏りはある(例えば中華帝国内部の離散民とか→ISBN:4061497618)が、個人の能力と研究の進展状況による限界はいた仕方ないことだろう。倭寇と日本人がごっちゃになってるっぽいところもご愛嬌か。
 植民地主義以降の「交易離散共同体」の「衰退」については、少し納得しがたい部分がある。現代社会では、確かに単一のシステムにマスキングされて、見えにくくなっているように見える。しかし、実際には依然として残っていて、何らかの状況変化で再び活況を呈するのではないかと思う。例えば、20世紀初頭までの日本においては、仲介者としてのヨーロッパ人の存在感は大きなものが合ったし、彼らは必ずしも本国の利害に忠実ではなかったように思える。華僑や印僑などは依然として活力を維持しているようだし、見ようによっては現在の多国籍企業は形を変えたトレード・ディアスポラと言えないか。とくに石油メジャーあたりにはそのような要素が強いように感じる。現在の中国の資源開発を見ても、そのような仲介者なしの進出は周辺社会との軋轢を生むなど危険な要素が多い。
 原著は1984年刊行で、名著として名高い書物。日本語で読めるようになってすごくありがたい。これを原語でよむのは大変、日本語で読めるならそのほうが楽。訳文は読みやすい。あとがきによると翻訳の開始が1991年だそうで、完成までに10年ちかくかかっている。対象とする時代と地域の広がりを考えると、とんでもなく労力がかかっただろう。翻訳した方々に感謝を。


 ところで本書では、「トレード・ディアスポラ」を「交易離散共同体」と訳しているが、なんかすわりが悪いように感じる。この訳語の選択に関しては、14-15ページの解題に解説してあるが、やはり「共同体」はもっと硬い人間集団をイメージさせるものがあり、もっと緩やかなネットワークにつなげがたいところがある。また、「交易・離散・共同体」という語のつながりも、どうも不自然というか、すわりが悪い。原語の語順に従ったものだろうけど、ここはこだわらなくても良かったような。例えば、「離散交易民共同体」や「離散商業民共同体」というような訳語もありえたのでは。