2001年の日航機ニアミス事件の判決についてメモ

バカな裁判官が航空管制をガタガタにさせるって・・・(追記あり)
捜査優先の「事故調査」をいつまで続けるのか


ずいぶん時間が経ったネタだが改めてメモ。
常々、こういう問題への刑事介入はよくないと指摘され続けているのに改まらないなあ。
そもそも「業務上過失」というのが問題なんじゃないのかな。明らかな怠慢、確実に事故が起こることが分かっていたのに放置というのは処罰の対象になりうるかもしれないが、「ミス」そのものを処罰するのはどうなんだろう。これは自動車事故にも当てはまるが。
泥酔して車を運転するとか、この仕組みでは確実に爆発すると警告を受けていたのに放置して爆発とか、病院なのにものすごく不衛生とか、そういう心がけ次第で改善できる部分は刑事罰の対象になりうると思うが、「あ」と「う」を言い間違えたとか、一瞬注意をそらしたとかそのレベルでは、刑法が関わるべきではないと思うのだが。
まあ、もうどうでもいいよ…


日本が神の国じゃなくなりつつあるってことか

最近まであからさまに法とは別のところで物事が決着することが多かった。いまでもそういう世界は残っているんだろうし、中国なんかそういう世界ばかりなんだろうし、明治から足掛け百数十年かけて繕った近代法治国家としての建前と、もっと長い歴史と伝統を持つであろう権威的秩序と、どちらが正しいかはよく分からない。迅速な制度設計を図る回路を持たないまま、サブスタンスとしても法治国家となりつつあるとしたら、それがどういう意味を持つのか考えることは興味深い。

 「公益」を盾に無理を通せば道理引っ込むみたいなシステムは、実際には結構新しいというか、狭義の近代である19世紀以降のものではないかと思う。国民国家というか、近代的な軍制の導入のために、社会の反発を押しつぶして「近代化」する必要から出てきたものだろう。で、「近代化」が達成された現在に至っても、腐敗しながら残存している。近代の「法治」とはそれを制限するために発展したもの。
 前近代には、むしろ「私益」と「私益」がむき出しにぶつかって、ある程度のところで妥協するというシステム(ちょっとカッコをつけると慣習法の世界)だったのではないか。「権力者」「統治者」にしても、反対するものをそう簡単に押しつぶすことはできなかった。このあたりは田中圭一の『村からみた日本史』や『百姓の江戸時代』を読むと良く分かる。
 ただ、この件に関しては、警察・検察の既得権益という側面を感じるが。率先して、刑事司法の側からシステムを構築する選択肢もありうるわけで。まあ、「自浄作用」というのは人間には存在しないのだろうけど。


産科医不足は「トンデモ」判決が原因ではない
裁判官が少なすぎるという指摘。
日本の社会は、レフェリーに金をかけなさすぎた。というか、そもそもレフェリーの重要性がわかっていないのかも。今までは、パターナリズムや私的な交渉で補ってきたわけだが、もう機能しない以上、レフェリー役に対しての資金投入の必要は避けがたいだろう。裁判官の不足については、今までは裁判に持ち込まないという形で補ってきたわけだが、これから先はそうも行かないだろうし。「自由化」はむしろ結構高くつくと思うけど、まあその方が公正ではあるだろう。