齋藤慎一『中世を道から読む』

中世を道から読む (講談社現代新書)

中世を道から読む (講談社現代新書)

 久しぶりに、新書の新刊を衝動買い。積読はいくらでもあるのに、新しく買った本から読んでしまう。
 関東地方の街道、鎌倉街道を素材に、中世の道、交通の実態を追った本。
 「路次不自由」という言葉が、公式にも説得力を持った、交通が難しかった時代を明らかにする。第一章と第二章は、交通の障害について。第三章は街道を管理する人々について、第四章は中世関東平野の主要な交通路を追う。基本的に、熊本在住の私は関東地方についての土地勘がないので、地名に苦労した。西日本ならともかく、東日本はよくわからん。
 第一章、第二章の交通の障害について。特に政治的な交通・連絡である軍隊や使者・書状のやり取りは、交通障害の影響を受けやすかったようだ。障害の内容としては、政治的要因と地形的要因が挙げられ、前者としては戦争や大名間の対立、後者は河川や峠がある。特に、関東の中央を貫流していた古利根川は、紙幅が多く割かれているように、大きな障害だったようだ。春先の雪解けなど、増水は、中世には特に克服しがたい障害だったのようだ。峠は、地形的にもだが、宗教的・治安的な側面が強かったようだ。
 第三章は交通の管理者について。戦国時代に、公的な使者を派遣するのはなかなか難しかったようだ。武士身分の使者より僧や山伏の使者の方が往来は容易だったこと。その場合も、各地の在地勢力に安全の保障を取り付ける必要があったようだ。このあたり、瀬戸内海では海賊を案内人として乗せる必要があったという話と、通じるものがあるようだ。また、在地の交通に関与する勢力として、赤城山東麓の交通に関与した阿久沢家や碓氷峠の佐藤家などの例が紹介される。どうしても史料の残存状態から使者や軍隊などの大名がらみの交通しかわからないのが歯痒い。商人などの一般民間人の交通はどうなっていたのか。近場の住民の交通は。
 第四章は、関東の主要な街道の変遷。軍隊の移動を中心に語られるが、鎌倉街道の上道・中道・下道のうち、利根川の比較的上流で渡河がしやすかった上道が交通の中心であったこと。それに対して、中道は利根川の渡河の問題から使用頻度が低かったらしいことが明らかにされる。また、15世紀、扇谷上杉家の時代あたりから、鎌倉の地位低下に合わせて交通体系が変化したことが明らかにされる。
 巻末に参照文献のリスト、略年譜までついていて、なかなか良心的に作られた本だと思う。