フィリップ・キュリー、イヴ・ミズレー『魚のいない海』

魚のいない海

魚のいない海

 現在の過剰漁獲の問題について、歴史的経緯、資源保護の制度の問題点、生態系の中での意味など、多角的に論じている。基本的にはフランス人の著者が、フランスの漁業管理の問題点を指摘する書物。どこもいい加減なことではあまり変わらんのだな。巻末の日本の状況の解説も興味深い。ただ、読んでいてなんかいけ好かない感じがする。なんでだろう。
 現在、人類の漁獲能力が高くなりすぎ、海洋生態系に負荷を与えていること。海の生態系は地上の生態系とは違う性質を持ち、人間の漁業活動が大きなインパクトを与えていること。人間の漁獲によって生態系が変化し、クラゲと泥の生産性のない海域が増える可能性の指摘など。水産資源をめぐる問題点を網羅している。
 巻末の付録の勝川俊雄「日本の漁業」も興味深い。戦後の日本の漁業の展開、70年代には資源が枯渇しつつあったが、マイワシの豊漁によってカモフラージュされていた状態。実際には魚の消費量はそれほど減っていないという指摘。まるっきりザルの資源管理など、短い中でまとめられている。著者は「個別漁獲枠制度」を推奨している。実際、日本では枯渇状態のサバを競うようにして早獲りして値崩れさせ、高い時期にはノルウェーからの輸入で賄っている事例などを見ると、確かに「個別漁獲枠制度」は合理的なように思える。ただ、この手の海外の制度を導入すべしという主張全般に感じることなのだが、北欧やオセアニアの「先進国」ではどのように関係者を説得したのかというのが欠けている。導入のプロセスを検証し、当該国の特徴を明らかにし、日本ではどのように改変すれば導入できるのかを考える必要があるのではないか。導入に賛成しない人々がどのような論理でそう主張しているのかを考えなければ、ただの掛け声にしかならないし、たんなるエリート主義の自己満足にならないだろうか。
 以下、メモ。

 ニューファンドランド島の住人であろうとアイスランド人であろうと、帆船での漁生活は過酷で、二〇世紀前までは次のような状態であった。漁師たちの睡眠時間はせいぜい五時間で、労働時間は十六時間から十八時間にのぼった。清潔さとは無縁の生活で、高い湿気、寒さ、悪天候、長時間にわたる激しい労働は、タラ漁に従事する漁師たちの日課であった。〇・八メートルから一・五メートルしかない大きさの寝床を仲間と共有し、氷のように冷たい海水で洗面を済ませていた。海上での生活が六週間ぐらい経過すると、下着を裏返して着るだけで、セッケンとお湯の使用は六カ月か七カ月にわたる遠征の終了後であった。重労働に耐えるため、タラの頭やビスケットをかじって栄養を取り、大量のアルコールに浸した乾燥野菜を食べていた。まさに地獄図の様相である。一八八六年、ニューファンドランド島への遠征に参加した船医デニスによると、長靴をはいた乗組員はフランスに戻るまで一度も長靴を脱ぐことがなかったという。p.27-8

 なんというか、蟹工船の悲惨な生活と変わらない状況。むしろ酷いかも。どこでもこんなパターンだったのだな(参考『蟹工船から見た日本近代史』ISBN:4406053379)。

 海洋生物資源の乱獲の歴史において、クジラとタラにはいくつか接点がある。というのは、一四世紀にバスク地方でクジラ漁をしていた漁師たちが、タラが大量に生息するニューファンドランド島のグランド・バンクを発見したからである。実際に、バスク地方のクジラ漁師は、ガスコーニュ湾のクジラを絶滅に追い込んだ後、新たにクジラを見つけるために大西洋の北西の海域を荒らしまわった。p.31

 この時代の魚食文化とはどんなものだったのか興味が尽きない。

漁獲量の減少に対する漁業関係者の対応策とは、魚資源の生物学的能力を無視して、さらなる漁業技術を導入することであった。世界の漁業の状況は悪化の一途を辿っている。現在の漁船の数では、おそらく年間漁獲量九〇〇〇万トンを二倍から三倍も上回る漁獲容量となり、漁業設備の規模は慢性的に過剰状態である。p.85-6

 このあたり難しい。失業問題とか職業への誇りとか地域経済とか、いろいろありそうだし。先進国では効率を下げる必要がありそうだが。

 一九六〇年代に鑑賞魚の国際貿易がブームとなり、観賞魚市場は、人口が急増する沿岸部に住む人々にとって、きわめて魅力的となった。この新たなブームによって毒流し漁が盛んになった。ゴム製の容器にシアン化物の錠剤を入れ、狙った獲物が泳ぐ付近にこの容器を沈めるだけで獲物をしとめることができる。猛毒の効果はてきめんで、漁師はフラフラになった魚を小さな網で簡単に捕獲できる。一九八〇年代、生きた魚を扱うアジアのレストランからの引き合いが強かったことから、毒流し漁は盛んになった。香港のレストランには毎年二万トン近くの生きた魚が出荷されるが、裕福な客はレストランに備え付けられた巨大な水槽から魚を選び、料理人はこれをすばやく料理して皿に盛りつける。
(中略)
 毒流し漁法による魚の取引は、魚が輸出されるにあたってシアン化物の濃度が検査されることはないため、市場でも制限されていない。(後略)p.109-110

 ((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
 この手の鮮魚レストランはやばいと。中国あたりの食品の危険さは半端ないな。
 香港の海鮮レストランについては、東南アジアのローカルな漁業を扱った田和正孝『東南アジアの魚とる人びと』(ISBN:4779500028)でも触れられていて知っていたが、なかなか恐ろしい。改めて読み直すとこっちでも毒流し漁が言及されていた。

 深海は居心地のよい環境ではない。水温は低く(約二度)、水圧は水深一〇〇〇メートルで平方センチメートル当たり一トンと高く、光が届かないことから、光合成とは無縁である。岩底や堆積土には白サンゴの群体のような固着生物があり、その構造は数百年から数千年の古さである。さらに栄養分も稀で、海面で作られる有機物質がゆっくりと雨のように海底まで降り注ぐのを待つばかりである。
 こうした生態系では、生物の成長は非常に遅いのが常である。ゆっくりとした成長、遅い性成熟、限定的な繁殖力といった理由から、生物の寿命は長い。海面付近に生息する魚の寿命は、せいぜい三〇年ぐらいであるが、水深五〇〇メートルを超える深海に生息する魚の寿命は、五〇年から一〇〇年以上である。例えば、オレンジラフィーの寿命は一二五年と推定されている。また、その性成熟は三〇代になってからである。ヒモダラや深海ザメの寿命は六〇年くらいである。
(中略)
 漁業関係者の発言とは裏腹に、こうした漁業に持続性はない。オレンジラフィー漁は利潤が大きいことから、漁獲量はたちまち急増したが。これはすぐにこの魚資源の枯渇を招いた。インド洋の南西部では、オレンジラフィー資源の慎重な管理をめざす当事者間の交渉がおこなわれるはずであったが、こうした時間もとれないうちに、四〇隻以上の漁船が三年以内にオレンジラフィーを過剰漁業してしまった。大西洋の北東部では、漁獲量制限は幻想であり、遅きに失した。スコットランド西の海域の漁場からアイルランド西の海域の漁場へと、三年から五年で魚を取り尽くし、漁場の位置も移動した。p.182-4

 深海生態系の脆弱さと漁業規制の難しさ。

 彼らには「オーシャン・サミット」を開催しようという計画がある。計画では、決定権をもつ関係者各位が二日間にわたって巨大ないテーブルが置いてある部屋に集まる。薄暗い部屋のなかでは、映像化された過去と現在の生態系や漁場の様子が映し出されている。数理モデルや映像により、会議の出席者は生態系の時間や空間を超えて、また海面から海底まで自由に移動できる。さらに採用する管理シナリオに応じて生態系の反応が映し出される。政策決定は数量化され、その将来的見通しが検討される。p.309

 生態学の研究者の夢想。なんか「サミット」とかそういうの好きだよね。しかし、実際に漁業に関わる人々のコンセンサスが取れなければ、資源管理システムは機能しないのではないか。極めてエリート主義的なにおいを感じる。
 あと、そこまで生態学数理モデルが信頼できる物なのかというのも問題になると思う。正直、人間が、多様な要素が相互に作用する生態系や社会を制御できるという考え方が傲慢だと思うのだが。生態学のモデルの正確性、さらにはそのモデルを受け入れない人に対する説得が問題だろう。