川崎賢子『宝塚:消費社会のスペクタクル』

宝塚―消費社会のスペクタクル (講談社選書メチエ)

宝塚―消費社会のスペクタクル (講談社選書メチエ)

 宝塚歌劇団のファンが書いた、宝塚歌劇団の歴史。20世紀に入ってからの、近代社会の感覚の変容と、その先端に乗り、あるいは差異化しながら、惹きつけてきた歴史。正直、議論の道具も、宝塚もよく分からない世界だけに、全体としてよく分からない。おかげで、読むのに時間がかかった。4日か5日くらいか。読む途中で寝てしまうんだよな…


 第一章は宝塚歌劇団の誕生とその背景にある博覧会やデパートといった「陳列」と「まなざし」の問題。宝塚歌劇団は、阪急の小林一三が仕掛けた「婚礼博覧会」の余興として出発した。また、この「婚礼博覧会」は、三越が行った「児童博覧会」をモデルとして行われた。このような博覧会から、子供というカテゴリーが消費主体であり、消費対象としての輪郭を持つようになり、また、「少女」というカテゴリーが出現すると指摘する。また、女優に対する偏見のまなざしの問題と宝塚が「学校」であることの関係。


 第二章は「『清く、正しく、美しく』の成立」というタイトルで、小林一三の鉄道や電気事業、住宅開発、百貨店経営を中心に、それらがもたらす欲望の喚起について議論している。鉄道と郊外開発によって職場と家庭が分離され、新たな消費階級の創出される。その「消費を娯楽にし文化にし、娯楽と文化を消費の対象にする(p.79)」消費社会の夢見るイメージとして、「清く、正しく、美しく」という標語は作られたと指摘する。

 産業社会、消費社会の負荷をうけつつ、そこから離脱しようとする位相に、「清く正しく美しく」という言説は成り立つ。清く正しく美しいものすべてを消費の対象としながら、消費しつくせないなにものか清く正しく美しいものが夢見られる。「清く正しく美しく」は、消費社会における再帰的、自己言及的な言説でありつつ、その彼岸を希求する言説でもある。宝塚歌劇の位相も、そこに、ある。p.81

また電車の速度と電気の光線の欲望に対応するものとしてのレビューについて。


 第三章は「モダニズムノスタルジア」というテーマで昭和モダニズム時代の宝塚歌劇団の特性を明らかにする。
 モダニズムの象徴的な存在として、レビューの性質。速度や世界をダンスで展示する、行進のスペクタクル。
 また、昭和のモダニズムは、エロ・グロ。ナンセンスをキーワードに展開する。これは消費社会の進展に対するアンチテーゼ的なものであり、社会の空虚化を示している。日本に導入されたレビューが、拡散するにつれ、エロ・グロ・ナンセンス的な色を帯びていき、これに対して「明朗で、純潔」あるいは「清く正しく美しく」といったイメージで、宝塚は差異化を行った。
 宝塚は「ノスタルジア」を発信し続け、行ったことのない場所をなつかしい場所とする。これは、近代の人々の移動に伴って故郷を喪失する状況。その中で、新たな「故郷」を仮構するものであったと指摘する。

 だがそれは、なつかしさが虚妄の幻想であり、不可逆の近代化に実態があるということを意味しない。故郷を変質させ、過去を手のとどかぬところに追いやり、なおモダンに〈憧れ〉る心性は、虚構のなつかしさ以外にふりかえるべき時空を持たないのである。p.148



 第四章は男役と娘役の分化の過程を議論している。息切れしてきた上に、ジェンダーの話はよく分からないので簡単に。単純な男性の代替物ではない存在であり、性差のコードを消去し、娘役と異なる性を提示できればよいという。さらにはジェンダーとしての性差も離脱しているという。このような虚構を支えるのが、学年順、成績順や各種の規律などの、さまざまなコードの輻輳による「ゲーム」であり、それが宝塚の舞台という虚構を支えているという。


 第五章は戦時中から戦後の流れ。戦時体制の圧力、50-60年代の作品の質での勝負とテレビやラジオの普及に伴う人材の流出、70年代の停滞とさまざまな規律の強化によるストイックな集団として差異化することでの対応。『ベルサイユのばら』のヒット、『エリザベート』と娘役が中心になっていく状況など。


 以下、メモ:

 新婚旅行から帰ると、留守中に、恋人がたずねてきたという、一三はあわてて恋人を連れて有馬温泉に行き、三日目に彼女を家まで送り届け、ひきとめられてまた一夜をあかし、新婚の家に帰ると、新妻は東京の実家にかえっていた。八〇歳をむかえようとする逸翁はしるす。「如何にも自分本位の軽薄な考え」であったけれど「その当時の社会通念ぐらゐに――我々の先輩の安価な行動を怪しまずに、家庭は家庭、外は外、なんとかなるだらう」と、「厚がましい、卑しい考へ」をいだいた結果の失敗であった、と。小林一三は銀行員の体面を捨て、回想に「私の愛人」としるした丹沢コウ(当時数えで18歳)と、1900年、27歳で結婚することになる。
 小林一三の結婚は、たしかに、当時の経済界のひとびとの選択とは、ずいぶん異なるものだったはずである。一三が彼女を振り捨てようとしたとき、自分は「百万人に一人しかない幸福の男さんのお嫁さんになれる」「わたしを妻にする旦那様は、必ず出世する」と、動じることなく一三をつかんで放さなかった少女は、こののち一三の女性観に大きな影響をあたえたにちがいない。それはしあわせな結婚を夢みる少女、といった、ありきたりの甘いものではなく、一三にとっては超越的な力、神秘的な力を持つものだった。
 「或る時は預言者の如き態度」「その潤ひのある輝くような大きい彼女の眼に威圧されると、他を顧みるか、立つて離れるか、私までが、彼女の信念に共通的な幻想に追ひ込まれるやうに戦慄することがある。かくして私は、彼女のとりこにならざるを得ないのである」と、『逸翁自叙伝」はいう。
 経済的社会的な後ろ盾をもたない少女のうちに、そのような力をみいだすこと、あるいは夫婦として五十余年をすごした妻のうちにもそのような力をみいだすことは、ありきたりの男にはおよびもつかぬ、一三の資質であり、才能であった。その才能は、小林一三宝塚歌劇を創設させ、彼を宝塚歌劇の庇護者にして作家、よき批評家たらしめたものかもしれない。一三は後年、宝塚歌劇について「良妻賢母」の倫理を支持する文化であると主張するのだが、彼自身の母なるものの体験、女性の力への憧憬や畏怖は、修身の教科書が喧伝する国家主義と資本制との結託を補強する「良妻賢母」主義といったものと、ずいぶん異質なものだったことも、確認しておくべきだろう。p.62-3

 なんというか、「妹の力」というのを思い出した。

 一見の客、見るだけで買わない客をことわっていた老舗の呉服店が、百貨店に組織替えをし、ガラス張りのショーケースに商品をおさめて、客の眼にさらす。ガラスの奥で商品はまもられ、清潔さを主張する。ガラスの奥の商品は、むきだしの商品よりいっそう輝かしいものとうけとめられるようになる。
 産業社会、消費社会は、ガラス越しに見られたモノに、なにごとか価値を付与することになる。p.85

 今ではショーケース越しが輝かしいとはちょっと思わなくなっているように思うが。

 エロ・グロ・ナンセンスが、昭和モダニズムのキーワードだった。
 恋愛幻想を剥ぎとり、家族や社会の規範を逸脱して、追求される性的な快楽、エロティシズム。社会の暗部、悪、犯罪、スキャンダリズムへの傾斜、グロテスク。怪奇趣味が浮上した時代は、倒錯、猟奇、変態を流行語にした。グロは、時代からとりのこされた異形のもの、異邦、異文化の様式をおおう概念でもある。意味や価値の解体するナンセンスの時代は、モノと情報の氾濫のなかで、存在が奥行きや確からしさを見失い、メディア化や記号化といった20世紀的な空虚に直面した時代でもあった。反面、ナンセンスという概念にはこうした不安を笑い飛ばすナンセンス・ユーモアというふくみもあった。
 エロティシズムは、侵犯や暴力や倒錯をつつむものすなわちグロテスクなものでありうるし、グロテスクなものが性欲を刺激しうるものでもあった。戦争の足音は近付き、テロが横行し、伏字だらけの活字メディアが、社会の矛盾や悪、猟奇的な犯罪を暗示し、多くの作家が探偵小説を書き読者を獲得したが、それらのグロテスクな現象をまえにして、積極的な価値の解体から意味の喪失まで、ナンセンスな気分が時代をおおっていた。エロティシズムにしても、性の商品化、メディア化の進むなか、空虚や無意味、ナンセンスをかかえこまずにいられなかった。
 このようにみてくると、エロ・グロ・ナンセンスというキーワードには、現代のわたくしたちの気分と連続するところが少なくない。1920年代型のシステム、その圏域から、現代人がのがれられていないということだろうか。p.112-3