清爽園


 法華坂を下ったところ。ちょっと谷になって、水がわき出しているところが、庭園として整備されている。解説板によると、西南戦争の後に、慰霊碑を作ると同時に整備されたらしい。
 解説板を引用すると、以下のようになる。

 明治一一年(一八七八)、西南戦争を戦いぬいた熊本鎮台の
将兵は、これまでの四戦役の戦没者を祭る記念碑をこの地に建
立しました。つづいて県の役人たちの戦没者の碑もつくられ、
同十二年に記念碑周辺の敷地を広げて庭園としました。
 さらに同十九年、この庭園に美観を添えるため、当時の歩兵
第一一旅団長であった乃木希典が官民有志へ寄付を呼びかけ、
旧「花畑邸」の庭石の払い下げを受けて、見事な庭園を完成さ
せました。
 その後、この庭園は次第に荒廃していきましたが、昭和四年
(一九二九)新町の青壮年団の奉仕により美観が取り戻され、
第八代熊本市長辛島知己によって、新たに「清爽園」と命名
れ今日に至っています。

 江戸時代にはどうなっていたのかは、調べないと分からない。南端に里数元標があった旨を示す石碑があり、江戸時代にはここが熊本藩の街道の起点になっていた。


 南の入り口から見たところ。慰霊碑に関しては、おっちゃんが休んでいたので、調べるのは遠慮した。あと、遠足の幼稚園児の集団でにぎやかでござった。正直、邪魔だったとも言えるが…




 上は野鳥園となっている。なだらかに芝生が登っていく景観がこの季節清々しい。



 あまり水量はないが、一応ここから湧き出しているようだ。



 かわいいお地蔵さん。台座は大正時代に設置されたと彫られている。当初からあったお地蔵さんは失われて、代わりに石に描いたお地蔵さんが置かれることとなったようだ。