太田猛彦『森林飽和:国土の変貌を考える』

森林飽和 国土の変貌を考える (NHKブックス)

森林飽和 国土の変貌を考える (NHKブックス)

 日本列島の森林環境が、前近代には過剰利用による荒廃状態から戦後、急激に利用が低下し、飽和状態にあること。その結果、災害のパターンが変わり、土砂の供給が減り海岸線が後退するといった、新たな問題が起きつつあることを指摘する本。ただ、須賀丈他の『草地と日本人』asin:4806714348を先に読むと、前半の江戸時代までの森林の「荒廃」の部分で違和感を感じるところも大きい。確かに利用圧が大きくかかって、はげ山も多く、荒廃と表現することは間違いではないと思う。しかし、一方で、阿蘇などでは、人類は農耕以前から火入れを通じて草原という環境を維持しつづけてきたわけで。それを「荒廃」と呼ぶことには違和感を感じる。植生の変化に関しては、堆積物の花粉分析といった手段で、具体的に追うことができるわけで、歴史の整理の部分では、詳細に調べれば、ずいぶん構図が変わるのではなかろうかと感じる。林学プロパーと生態学では、見方が異なって来るのではなかろうか。
 一方で、本書の主題そのものは、今後常識になっていくのだろうなと思う。エネルギー革命、地下資源による素材が大量に供給される以前は、人類は森林資源に依存していたこと。結果、森林は強い利用圧力にさらされ、大径木は少なくなり、花崗岩地帯を中心に表土の崩落によるはげ山が多くみられ、海岸地域では河川から供給された土砂により形成された砂丘による飛砂の害に苦しんでいたこと。江戸時代前半、あるいは近代に入ってからの人口増大が森林に強い圧力をかけ、ほとんどの土地で鬱蒼とした森林は存在しなくなっていたこと。これによって、花崗岩地帯を中心に表土の崩落、それに伴う天井川の出現などの問題が発生。治山治水のために森林保護政策や治山工事などが行われるようになる。
 このような状況は戦後、エネルギーの石油への移行、化学肥料の普及、プラスチック製品の普及などによって、木材の需要が減って、一気に転換する。60年代あたりを境に、森林資源への圧力が減少し、森林のストックは急増。現在は飽和状態とも言うべき状態になっている。
 山地が森林でおおわれた結果、災害のあり方も大きく変化している。かつては表土が崩落する表層崩壊が各地で多数発生していたが、現在ではその頻度は激減している。その結果、植生に影響されない深層崩壊が土砂災害の課題としてクローズアップされるようになっている。また、水系への土砂の供給が減少した結果、河床の低下、海岸の浸食などが新たな問題としてクローズアップされるようになる。土砂供給に関してはダムや砂利採取の影響の方が現状では大きく見えるが、将来的には大きな問題になりうることが指摘されている。また、森林利用が減少した結果、里山が奥山化していく状況にあり、それがシカの激増とその食害といった問題を発生させるなど、新たな荒廃が現れてきている状況と。
 しかし、たかだか半世紀前のことをきっちり知ることが非常に難しいのだなと。熊本市近辺の農村でも、こういう里山の利用は行われていたはずなのだけど、今や耕地そのものが宅地化していく一方だしな… 改めて、調べたいところ。


 以下、メモ:

 根返りとは、通常は台風などの強風による森林災害の際に見られるもので、樹木が押し倒されて根の大部分(根鉢)が地上に浮き上がった状態をいい、根系(植物の根全体)の発達が悪い場合に発生しやすい。災害後に実施された、根返り木や湛水地に残った立木の根系の調査で、根鉢の中心にあって通常は鉛直方向に二メートル以上伸びるはずの「垂直根」の発達が悪く、津波の流体力に対していわば根が踏ん張っていられず、押し倒されて根返りを起こしたことがわかった(写真1-5、1-6)。これは、砂丘の上など地下水面が低く乾燥気味の土地を好むマツが地下水面の高い場所に植えられたため、垂直根の発達が妨げられた結果である。実はこのことは今回の津波のあと、根返りしたマツが流木化したこともあって、「マツはそもそも根が浅くて流されやすいのが欠点であり、一部の広葉樹ならそんなことはない。だからマツではなく広葉樹を植えるべきだ」という論調を生んでしまったようである。しかしこれは「やはり木造住宅はダメだ」と言われたのと同じ単純すぎる議論である。p.19-20

 乾燥した砂丘上ならマツも十分な性能をもつという話。これは、「森の防潮堤」構想と宮脇昭理論の生態学上の問題点(2012年11月19日) Togetterの話とも関連するか。後の方でも、土砂災害の防護のうえで、広葉樹も針葉樹もあまり変わらないと一貫して指摘しているな。

 土壌が貧弱でほかの樹木が生育できない荒地や砂地でも、マツはよく育つ。つまり、江戸時代の山も基本的には明治時代以降の古写真のような状態で、マツしか育たないほど貧弱な植生であったことがわかる。先に引用した一九〇〇年の土地利用図のうち「針葉樹林」の大部分は、実はこのような荒廃したマツ林だったのである。p.47

 浮世絵などの絵画情報から。主要街道沿いだけに、利用圧も大きかっただろうしな。

 その様子は本章に示した古写真や浮世絵でほぼ理解できたであろう。ここでは当時の里山をよりリアルに描いている図2-7を示そう。この図は文化年間(一八〇四‐一八年)に描かれた里地・里山の光景で、水田にポンプで水を送っているところであるが、里山には樹木がごくわずかしかなく、ほとんど草山である。近年、里山ブームにともなって里山の写真が書籍や雑誌、ポスターなどによく使われている。里山を背に棚田と農家が写っているものなどがその典型的な例であろう。しかし、背景の里山は樹木の生い茂ったものばかりである。私は「それは里山の跡地の写真だ」と言いたい。実際の里山はそこに写っている樹木の大部分を取り去ったものであった、そして、森林の荒廃により毎年全国各地で土砂災害や洪水氾濫が頻発していた。言うなれば、江戸時代は“山地荒廃の時代”だったのである。p.59

 里山の跡地とは、言い得て妙だな。

 さて、森林と人類を除くほかの環境の要素。すなわち地形、地質、気候との相互関係を考えると、これらの環境要素の大きな変化は一般に森林にダメージを与える。これを森林の側から見ると、「自然災害によって森林が被災した」ということになろう。地質条件が変化(地震)して、それが水の移動(津波)を介して森林にダメージを与えた例が東北地方太平洋沖地震の巨大津波で被災した海岸林である。p.142

 うーん、なんか静態的な自然理解と言う気がする。「災害」ってのは、人間社会に影響が出て初めて「災害」になるわけだし。この場合、「撹乱」といったほうがいいような気がする。

 このように考えると、将来は山地・渓流から土砂を供給することが土砂管理の一部となろう。私は「砂防とは『土砂逸漏を防ぐ』の意味である」「砂防の極意は土砂の生産源で土砂流出を断つことである」と教えられながら学生時代を過ごした。まさにひとかけらの土砂でも出てこないほうが良い時代であった。しかし、こうした言葉は明確に否定されるべき状況が到来しており、このことが、私が「新しいステージ」と言う所以である。山地保全の新しいコンセプトは土砂災害のないように山崩れを起こさせ、流砂系に土砂を供給することとなるのだろうか。少なくともそのような劇的な発想の転換が、新しいステージで要求されていることは間違いない。p.243-4

 有明海で、干潟に砂をまいたらアサリの収量が増えたってはなしも聞いたことがあるな。生態系や水産資源の維持の観点からも、適切な土砂の供給と言うのは必要なのかもしれない。