「私の視点:学習院大学教授(政治学方法論)福元健太郎:失われた選挙記録 様式を統一し、永久保存を」『朝日新聞』13/7/5

 選挙の記録が消えている。私がそのことに気づいたのは、現憲法下における全市町村の選挙がいつ行なわれたかを調べている最中であった。選挙の時期くらい総務省に尋ねればわかると思っていたのだが、実は総務省はおろか、ほとんどの都道府県選管、多くの市町村において、昔になるほど市町村選挙の資料が残っていなかった。日付すらわからないのだから誰が立候補して何票得たかなどわからないわけで、大いに驚いた。
 このようなことが起きるのは、公職選挙法施行令で選挙記録の保存期間が首長や議員の任期とされているからだろうが、それにもまして過去の選挙に国も自治体も関心がないからだろう。
 拍車をかけたのが、市町村合併である。昭和の大合併前の旧市町村の資料は、文書管理がきちんとできていないと、その所在がわかる職員の退職とともに散逸していった。平成の大合併で消えた市町村の文書も、選挙記録に限らず、今まさに同じ運命をたどろうとしていると言ってよい。
 昔の選挙などどうでもよいと思われるかもしれないが、実はここには現在の地方政治に直結する二つの問題がある。
 一つは、極端に言えば、過去の首長や議員が選挙で勝った確かな証拠はない、ということである。従って当然に、彼らがなした政策決定も、ひいてはそうした過去の行政の上に積み重ねられてきている今日の行政も、民主的正統性が保証されないということだ。
 もうひとつは、中央集権が指摘されることが多いが、それは政策決定に関する話で、こと政策執行については不必要なまでに地方分権が進んでいるということだ。選挙記録に限らず、いろいろな政策分野で見受けられる問題である。地域の実情に応じて政策内容を変えるのは望ましいことだが、選挙の記録をどうつけるかを場所によって変える必然性は全くない。
 これは日本だけの話ではない。例えば米国では、2000年の大統領選で一部の投票方式に欠陥があることが明らかになって以来、選挙事務に関する研究が精力的に進められた結果、全米の選挙記録がまちまちの様式であちこちの行政機関に散在していることが問題視されるようになってきた。そこで提言されたことの一つは、選挙の情報を統一の様式で記録し収集することであった。
 そこで私は二つ提言したい。第一に、選挙記録の保存期間を永久保存とすること。第二に、選挙記録は様式を全国で統一し、一ヵ所で保存することである。これによって地方政治の民主的基盤が整備されることを期待したい。

 選挙記録の消滅の問題点。確かに、いつ行なわれたかも、誰がどのような得票をしたかもわからない選挙では、確実に民主的な選挙が行なわれたかどうかわからないわな。それは正統性の問題にはなりうる。つーか、いつどこで選挙が行なわれたのかわからないってすごいな。その首長や議員の任期が過ぎたら廃棄とか。