盛本昌広『境界争いと戦国諜報戦』

 まあ、タイトルの通りの本。戦国大名や国衆などの領域支配者にとって、境界域を突破され、領国の中心部に敵の侵入を許すことは、滅亡に直結する危機であった。そのため、境目には、城を多数配置し、防御を固めることになる。このような「境目」がどういう場であるか、その地理的条件はどんなものであったか。あるいは、境目で、どのような戦いが行われたのかを、明らかにする。
 最近、本は安楽な姿勢で読むものなのだが、本書は地図と首っ引きでないと、いまいちピンと来ないので、結局机に向って読む羽目になった。あと、戦国時代の地域の城塞も、検索する必要があったし。しかしまあ、ヤフー地図とか、地理院地図を見ながら読んだが、便利な時代になったものだな。なじみのない地域の地図を、わざわざ買わずとも、検索すれば見ることができるようになったのだから。一方で、ネット地図もそれぞれ使いにくいところがあるな。ヤフー地図は、ちょっと田舎になると、地図の精度ががた落ちになる。地理院地図は、大縮尺地図と小縮尺地図の記載内容に差がありすぎる。広域をザッと見るときには少々不便。まあ、全国ほぼ同じ精度で、山地の旧道まできっちり記載されているのはありがたい。


 前半、第一部は、「境目」がどのような場所にできたか、そしてその争奪をめぐってどのような戦いが行われたかを叙述。東国の伊達・上杉・北条あたり、場所としては福島・富山・関東平野あたりが、素材となっている。
 第一章は地形的な要件の話。地域的政治単位として水系というまとまりが多いこと。その場合、分水嶺が境界となるという。また、関東や越中方面では、大河川が境界となることが多く、越中富山県)などは、神通川で二分されていたと言う。西日本しか知らないと、河川というのは通行路としての性格が強くて、あまり境界線という印象はないけどな。熊本でも、菊池川流域の菊池氏、緑川流域の阿蘇氏、球磨川流域の相良氏って感じだし。河川が境界となる地域では、橋頭堡となる対岸の城の確保が重要になったと。
 第二章は、福島県域で展開された、伊達政宗と蘆名氏、佐竹氏、相馬氏などの戦いと、境界の城や勢力の話。境目の城の争奪戦。境界地域の有力勢力が寝返って、境界地域が相手方に制圧されると、一気に壊滅につながると。蘆名氏の滅亡も、片平親綱の伊達への寝返りと、それによる安子ヶ島城と高玉城の陥落がきっかけとなったという。相馬氏との境目争いや、この時期に確定した勢力圏が、現在まで地方自治体の境界として継承されていると言うのも興味深い。
 第三章は、「新地」とよばれる城の検討。付城やより堅固な城への移転の事例などが紹介される。
 第四章は、国境をめぐる戦い。上杉氏の越中越後国境地域の防衛体制整備や、佐々成政の戦いなど。越中境城の陥落と、その後、糸魚川市を中心とする城塞群の整備状況。あるいは、飛騨と越中が同じ水系で結ばれていて、それだけ関係が深かったことなど。敗北した側の武士たちは、近隣の戦国大名の下に走り、戦国大名は彼ら牢人を隣国攻撃の尖兵として、隣国との防衛部隊として利用したこと。一方で、牢人衆に判断を引きづられ、戦争にのめりこむリスクもあったという。


 後半は、草や乱波、透波、忍と呼ばれる人々による、境界域での非正規戦の様相を紹介する。
 境界域では、相手の村落や城を弱体化するために、さかんに小規模な非正規部隊による襲撃が行われていたという。街道などに伏せさせて、通りがかった人を無差別に殺害する。あるいは、使者を襲撃して書状を奪う、放火などで混乱させて城を乗っ取るなどの活動が行われた。これに対抗するために、防衛側は兵を出し、さらにこれを待ち伏せして襲撃するなど、虚虚実実の駆け引きが行われたと言う。境界域では、生活自体が大変そうだな。
 このような草は、足軽大将を中心に、足軽や山地を歩くことができる特殊技能者、ただのならず者など、さまざまな人々からなっていた。特に山伏は、山岳を自由に往来できる技能から重宝されたそうだ。また、他領の人々を誘って内通を行わせることも普通に行なわれ、戦国大名にとって、境目の住人は十全に信頼できる存在ではなかったと言う。
 このような草などの破壊活動に対抗して、地域の住民は「寄居」という城下集落への集住で対抗した。逆に、戦国大名は寄居に地域住民を強制的に集め、境界地域の無人化を防ぐと言うことも行われたそうだ。また、寄居に人質を集めるようなことも行われたとか。


 「境目」の争奪を中心とした、戦国大名の日常的な戦の姿が、平易に書かれていて興味深い。一方で、もう少し、地図に関しては詳しいものが用意して欲しかったかな。地形図に、城の位置や旧道の当時の旧道の情報が書き込まれていると、より分かりやすかったのではないだろうか。特に、本書が地形や地質と言った環境要因を重視している以上、分水嶺などの情報は最低限必要だったと思う。つーか、誰か城を書き込んだ地形図を用意して欲しい。福島の戦国期の城とか、熊本から調べるのはちょっと厳しい。ついでに、国土地理院の許可を取って、加工した地図を公開するって、ちょっと敷居高いし。
 読みながら、関連する地域の峠道なんかを軽く検索したけど、峠道ってロマンだな。