竹井英文『戦国武士の履歴書:「戦功覚書」の世界』

戦国武士の履歴書 (戎光祥選書ソレイユ006)

戦国武士の履歴書 (戎光祥選書ソレイユ006)

  • 作者:竹井英文
  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 上野出身の武士で、後に伊井家の重臣となった里見吉政が残した「里見吉政戦功覚書」をメインの題材として、戦国末期のこの時代、あちこちを渡り歩いた武士たちの姿を描き出す。子孫が中下級クラスまで地位を落としてしまったので、無名だけど、吉政自身は中上級クラスの武士といった感じなのかな。基本、一人で駆け回ってる印象だけど、最初の段階から物見、使者、100人くらいの規模の部隊の指揮くらいは期待される身分だったようだ。在地の有力武士といった感じなのかな。武田氏滅亡後の混乱の時期に、国衆安中氏に味方して、数十人程度の軍勢を指揮して、山城一つ確保している感じだし。
 あとは、ディテールがおもしろい。
 旗指物のデザインがかぶると、手柄を他人に持って行かれる可能性があること。そのため、デザインの似通った旗指物の武士同士で、デザインをめぐる紛争が起きる。里見吉政も、荻谷氏との総論の末、危険な場所に派遣される荻谷に旗指物を譲ることになる。
 あるいは、首を取らせまいと、遺体や負傷者を奪い合い、引っ張り合う姿。この種の奪い合いは、戦国逸話集の類いにも出てくるな。
 騎兵突撃の話も興味深い。戦国時代になって、歩兵戦闘がメインになるが、騎馬戦が行われなくなったわけではない。ただし、乱戦を攪乱するためや、追撃戦、追撃してくる敵を叩くなど、限られた条件で行われるものだった。


 吉政本人の遍歴もすごい。覚書で最初に書かれるのは、小山祇園城を占拠した北条側の武士としてのエピソード。祇園城を取り戻そうとする連合軍との戦闘。その後は、北条氏内で所属を変え、武田氏と決裂した後の、沼田城をめぐる攻防戦に参加。
 いったん、本拠の里見郷に戻って、武田氏滅亡後の混乱では、安中氏に味方しての出兵、小幡氏と戦う。織田家の大名として、滝川一益が配置されると、その麾下に。しかし、織田家の関東支配は、本能寺の変であっという間に崩壊。滝川一益の上野支配の崩壊のなかで、沼田城の引き渡しの使者として活躍、神流川の戦いでは使者や物見として活動。
 一益没落後の天正壬午の乱では、再び北条氏に従い、信濃での戦いに従軍。さらに、金山城攻めに参加する。
 その後は、いきなり関東を離れて、豊臣秀吉配下で九州へと従軍。北条氏との戦いでは、浅野長吉の配下になって、忍城包囲に参加。城攻めの記述と絵図の突き合わせが興味深い。
 北条戦後の徳川の国替えで、井伊直政箕輪城主になると、大きくなった身代を支えるために、上野の武士を大量に採用することになる。その一人として、伊井家の家臣となった吉政は、九戸政実の乱や関ヶ原の合戦に従軍。
 最終的には、1000石の重臣クラスまで出世する。
 北条氏、滝川氏、豊臣氏、浅野氏、伊井氏と、本当にあちこちの軍勢に加わっている。「修行」と表現されているが、どういう意識で語られているのだろうなあ。また、この手の一騎駆けの小部隊指揮、偵察、伝令ができるクラスの武士というのは、相応に希少価値があって、有能であれば仕事に困らなかった感じはあるなあ。


 基本、大名の家臣で著名なのは、譜代の家臣とか、幼い頃からの側近がメインだけに、こういう転々とする重臣というのは興味深い。円満移籍も普通にあり得たのだな。そして、だいたいの大身の家にはつきものの後継者争いと家臣団の内部争い。伊井家も、ご多分に漏れずで、直継から直孝への当主交代につながっている。
 その間、直孝ともめて謹慎処分を受けたり、この世代の君臣関係というのは一筋縄ではいかないのだなあ。