大内建二『戦時標準船入門:戦争中に急造された勝利のための量産船』

 日本の戦時標準船をメインに、アメリカのリバティー船やイギリスのエンパイア船なども紹介した本。
 第二次世界大戦では、急速建造に溶接が広く用いられているが、どこもいろいろと問題に直面しているな。アメリカでは、溶接で作られたタンカーが、寒冷下では収縮によって真っ二つに割れる。日本だと、潜水母艦大鯨の建造時のゆがみ。ドイツでも、ケーニヒスベルク軽巡の船体割れとかあるし。結局、戦後、アメリカで溶接に適した鋼材が開発されるまで、問題は解決できなかったと。
 日本の戦争準備の泥縄感はすごいな。戦時標準船にしても、昭和17年から急速建造について検討を始めているわけだから、第2次戦時標準船が、潜水艦と機動部隊の地獄の中で消えていったのも当然というか。むしろ、イギリスの要請を受けた分、リバティー船の方が早くはじまっているんだよな。陸軍参謀本部の情報関係で、アメリカを扱う部署ができたのも、戦争が始まってからだし。いろいろと、準備ができていなかったとしか。
 熟練工がいない、鋼材が足りない、急速建造体制への転換も遅い、三重苦。その結果が、二重底も省略した、浮けばいいんだろ的な第2次戦時標準船と。リバティー船と第2次戦時標準船の差が、彼我の工業力の格差を示しているな。限られた条件の中では、健闘したとも言えるが。リバティー船も、戦争が終わった時点で、700隻が工作不良として淘汰されているそうだし。戦時標準船が粗製乱造なのは、どちらも変わらないような。どちらも、未熟練の工員を大量に動員している点では同じで、鋼材の供給と自動溶接機の開発が死命を分けた感が。
 2E型小型貨物船を大量に建造した三菱重工若松造船所、播磨造船所松浦造船所、川南工業深堀造船所、東京造船東京造船所の4造船所が興味深いな。小型貨物船を大量生産するために、レイアウトに工夫が凝らされた工場。これらでの経験は、戦後、どう生きたのだろうか。

 二千七百隻以上も建造されたリバティー船は戦時中に二百三十五隻を失った。そして戦争の終結と同時に残ったリバティー船については再度不良箇所の精密一斉点検が行なわれ、工作不良で以後運行することが危険と判断された船は工作不良船と判断され、次々とスクラップ処分された。その数実に七百八十隻に達した。p.287

 なかなかすごい話だな。四分の一近くが、平時の運行は危険な水準の船だったわけだ。