内田良『柔道事故』

柔道事故

柔道事故

 明日、水前寺方面に行く用事があるので、返却できるようにあわてて読んだ。学校での柔道による死亡事故について扱った本。日本スポーツ振興センターの『学校の管理下の死亡・障害事例と事故防止の留意点』からピックアップした、柔道に関する死亡事例データの分析。第二章は事故が繰り返されてきた要因の分析。第三章は「柔道事故被害者の会」の会長・副会長へのインタビューを中心に。第四章は柔道界や政界の動きを取り上げている。ラストにのべ活動時間の算出方法や死亡事故の全事例などのデータが付属。


 しかし、柔道部での競技人口あたりの死者数が突出して高い、そして、死亡の原因は頭部の強打が多くを占めているというのは、まさに著者が「発見」した事実だよな。高校の体育で、格技をやらされた時、柔道を避けて剣道にしたのは、私の運動神経では確実に骨折かなんかの怪我を負うと思ったからだけど、それどころじゃない危険があったわけだ。さらに、初心者の確率が高い中一、高一の死亡例が多いという、初心者の安全を等閑視した柔道界の腐敗した精神をも炙り出している。
 『学校の管理下の死亡・障害事例と事故防止の留意点』をもとにした情報は、ネットでも広く紹介されたが、中部地方の柔道事故の事例を分析した、第1章3節は初めて接する情報。こちらの分析は、部活と保健体育の授業の比較に重きが置かれている。のべ活動時間で考えると、部活と授業の事故発生の頻度は、あまり変わらない。むしろ、頭部負傷の確率は高い。また、女子の頭部負傷の頻度が高いなどの情報が紹介される。


 第2章は、社会的な分析の章。柔道事故がクローズアップされるようになった要因として、データの紹介と同時に、武道必修化、被害者の会の出現などがあると指摘。
 また、データによって頭部外傷がクローズアップされるようになったが、柔道における頭部外傷の危険性は、30年前から指摘されてきた問題で、今まで、それに注目してこなかった柔道界の鈍感さを非難している。脳への打撃が繰り返すことによって危険性を高めるセカンド・インパクト・シンドローム。そして、頭を打たなくても、脳が揺さぶられ続けると、硬膜と脳をつなぐ血管が破損する加速損傷。二つの危険度の高い要因が存在することを紹介する。特に、加速損傷は自覚症状が出にくいので、危険度が高そう。巻末の死亡事例でも、「乱取り」のあとで倒れた事例なんかは、加速損傷がメインなんだろうな。
 第2章後半の3節、4節は、柔道必修化の問題。必修化は、柔道の競技人口を増やす手段として構築されていると指摘。柔道事故は、この必修化をめぐる議論のなかで、後付で問題化したと指摘される。また、一方で、必修化をめぐる議論で、3つの危険性がマスクされてしまったと指摘されている。中学での必修化という議論の枠組みから、事故の過半数を占める高校における問題が消された。続いて、促成栽培の教員への柔道指導研修の問題から、外部指導者の導入が議論されているが、そもそも、初心者の安全確保は2006年まで全く等閑視されてきた問題で、それに関する「経験者」が存在しないことを指摘する。そもそも、「ベテラン」の暴行による死亡事例が存在する。最後に、「授業安全論」が部活における事故の多発をマスクしてしまうのではないかと危惧する。そもそも、必修化が競技人口の拡張、つまり部活への流入を目指すものである以上、部活における事故の多発を正面から捉える必要がある。


 第3章は、全国柔道事故被害者の会を取り上げている。個別具体事例との接続。しかしまあ、子供を「殺され」ているにもかかわらず、柔道の安全性を高めるという論点を維持できる胆力がすごいな。会長・副会長とも、ほとんど顧問による暴行致死としか言いようがない事例なのに。あと、遺族と学校や道場との関係が悪化する要因として、事後の防御的な対応による不信感が大きいと指摘する。これは、自殺といじめの関係なんかでも、良く出てくる話だな。
 あと、柔道の安全をめぐる議論で、「柔道バッシング」とか、「ネガティブキャンペーンだ」と反発する柔道関係者の精神の腐敗があきれる。初心者を殺すような事故を頻発させているという時点で、かなりアレなのだが。それに、学校を使って競技人口を増やそうとする政治的手法を使っている時点で、大きな反発が出てくるのが予想できなかったのかね。
 海外では、このような頭部外傷による事故例がほとんどないことが紹介され、「本家」であるはずの日本で、安全対策が二歩も、三歩も遅れていることが明らかにされる。まあ、この海外に状況に関しては、事故データの集約がどのような組織によって、どのように行われているのか。スポーツ事故全般の対策がどのように行われているか。もっと広い文脈で見渡す必要があると思う。
 しかし、この章で紹介される事故事例のひどさ。会長・副会長の事例と、最後に民間の道場における事例の、3例が取り上げられている。前者は、初心者に対して、顧問が限界を超えた技をかけ続けて、死に至らしめる。後者は、頭部外傷にもかかわらず、熱中症と判断し放置。救急車を呼ぶ判断の遅れ。さらに、被害者を傷つけるような、事後の言動。競技人口が減るのも納得の話だわ。


 最後の第4章は、全柔連に対する書面による質問、溝口紀子氏へのインタビュー、そして国会議員による「柔道事故勉強会」の紹介。
 全柔連は、問題がクローズアップされた後、問題の周知に努力し、2012-14年の3年間は、事故死者ゼロを達成している(柔道事故 死亡ゼロが続いていた――マスコミが報じない柔道事故問題「改善」の事実(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース参照)。その点では、著者が指摘するように、一定の自浄能力はあると考えてもいいのかもしれない。『柔道の安全指導』というマニュアルは、相当な発想の転換が行われていると。189ページの対応マニュアルは、有用そう。一方で、既存指導者への研修に関しては、頼りなさそう。そもそも、安全管理も含む、多岐にわたる能力が必要な以上、本格的なライセンス研修体制を整える必要があるのではないだろうか。
 第2節は、銀メダリストで、フランスでの指導経験もある溝口紀子氏へのインタビュー。就職も含む、利権の体系。そのなかで、強固な支配体制が確立されていること。結果として、自浄能力は期待できないという見方。
 あとは、日本の柔道界における反知性主義と、一方でフランスにおける力を抜くべきときには抜く、オンオフの知恵やスポーツ科学の導入など。
 結局、アウトサイダーでないと、まともに批判できないと。
 第3節は、国会における動き。少なくとも、安全対策の重視という動きを引き出す程度には、有効であったと。むしろ、こういうのは推進側の自民党が音頭を取って行うべき活動だったんじゃなかろうか。


 ラストの全事例リストも興味深い。
 やはり、中学一年、高校一年が目立つ。また、技では大外刈り、大内刈り、背負い投げが目立つ。これらは、初心者にはかけるべき技じゃないと。こういう明確に頭を打った事例だけではなく、乱取り後、倒れた事例も多いが、こちらは加速損傷が疑われるか。
 熱中症の事例も意外と多い印象。
 柔道技による暴行事例は、j037の一例が見られる。


 「価値を含んだ言葉」で、事実の記述が曖昧になっているという指摘は興味深いな。柔道を含む武道が、「精神的な鍛錬」という価値を含むことで、顧問などによる初心者への暴行、全柔連における経済的な搾取や強圧的支配という現実を、覆い隠してしまう。
 溝口インタビューでも強調されるが、イデオロギーによって強固なムラ社会が維持されてしまう。強化費のピンはね、パワハラなどがまかり通ってしまう。それに対し、声を上げるには、半分柔道界の外にいるような立場でなければならない。女子代表チームのパワハラが、「問題にできた」のは、女性が柔道界において半ばアウトサイダーであったことが大きいと。男性は、絡め取られてしまう。
 また、「根性」「鍛錬」「指導」の名のもとに、初心者や弱い相手に対する暴行やパワハラが正当化されてしまう。「検察は、『柔道場で柔道着を着て柔道技を使えば、どこまでが柔道でどこからが犯罪なのか、線を引くのは難しい』と私どもに説明したが、はたしてそうであろうか。(p128)」という一節は、柔道指導という名のもとに、合法的に暴行や殺人が可能であるってことだからなあ。そもそもの、指導技術そのものの徹底的な改革が必要なんじゃなかろうか。


 本書では、客観性を担保するために、死亡事例を取り上げているが、軽傷事例まで含めれば、見えてくる図がかなり変わるのではないだろうか。あるいは、学校におけるスポーツ事故全般の中で、柔道の危険性がどこまであるかとか。
 また、死亡事故は大人になっても、ありうるわけで、大人の柔道事故も気になる。その点では、185ページに紹介されている「全柔連障害補償・見舞金制度」の支払い事例が興味深い。大学生以上の競技者でも、頭部や頚部への打撃で死亡や首から下の麻痺などの深刻な事故事例があること。50歳代以上の高齢の指導者が、指導中に循環器系の疾患で急死する事例もいくつかある。この制度の普及レベルがどの程度か分からないが、大人の柔道事故も、それなり規模で起きている可能性があるな。


 以下、メモ:

 つまり裁判当時、国は頭部の打撃をともなわない加速損傷を一つの理由として、教師を守ったのである。国は、柔道の投げ技が加速損傷を生み、それが重大事故につながることを知っていた。しかし、裁判で持ち出された加速損傷は、その後封印され、今日に至って国は再び加速損傷に言及するようになったのである。教育評論家の武田さち子は、こうした国の態度を「自分たちを守るためには、金をかけて海外の文献を取り寄せてまで立証した国が、子どもの命を守るためにはその情報を活用してこなかった」(武田 2012a)と厳しく批判している。p.78

 1973年の事故の民事裁判では、加速損傷を教師が予見するのは難しいと主張したが、その後、その情報を周知しなかったと。この裁判以後の事例では、国が周知を怠ったと賠償請求できるんじゃね…

 部活動の事故事例数の多さだけが、問題ではない。裁判で争われたいくつかの事例では、部活動の顧問教師が直接に生徒を柔道技で投げたり、生徒に暴力を振るったりして、死亡や後遺障害に至らしめたとされるものもある。直接に物理的な攻撃がなかったとしても、きわめて過酷な「指導」や、杜撰な事故後の対応が問題視されたものもある。また学校管理下ではないものの、町道場での指導においても柔道経験者が裁判に訴えられるケースがある。先述したように、大阪市町道場での死亡事案(2010年11月に発生、指導者が小1男児を繰り返し投げつけて死亡させた)では、刑事裁判において指導者に有罪判決が下された(罰金刑・2011年10月)。これら「経験豊かな」指導者がかかわる事例は、第3章で改めて紹介したい。p.107-8

 しかしまあ、明らかな暴行致死でも罰金刑ですむ柔道家は、ずいぶん手厚く保護されているもので。そういう暴力的な文化が、フランスに競技人口で抜かれるような状態を生んでいるんじゃないかね。
 強ければ何をしても良い文化ってのは、内柴事件なんかでも、はっきり出ているが。柔道って、本当に「精神の鍛錬」になっているのだろうか。

 進学校に入学してからというもの、試合でいくら相手を投げても、「一本」にはならず「有効」なんですよ。押さえ込みならば、タイマーが審判になってくれるので、確実に「一本」が取れる。当時は30秒で「一本」でしたから、30秒経ちさえすれば「一本」。ですので、押さえ込みを徹底したんです。p.202

 推薦を断って、進学校に入学して柔道を続けた溝口紀子氏が、不公平なジャッジに遭遇したと。これ、本当なのかね。外野からみて、これが正しいなら、溝口氏が全柔連に自浄能力なしと断じるのも、納得できる話だが…

 チームの代表になったりすると、投げる練習ばかりするのですが、当然、そのときには、投げられるだけの人がいるわけですよ。弱い子はずっと投げられるだけ。ここで事故が起こりやすくなるのは明らかです。p.206

 ずっと投げられ続ければ、加速損傷を受ける可能性は高まる。しかも、弱者が割りを食うと。ダメじゃん。