服部英雄『蒙古襲来と神風:中世の対外戦争の真実』

 ここのところ、集中力低下で本が読めない。それでも、それなりに読み終わっていたのだが、諸般の理由で、読書ノートは久しぶり。本書は、読了後一週間ほどたっている。


 タイトルの通り、鎌倉時代末期のモンゴル帝国による日本進攻、蒙古襲来がテーマ。もともと、ハードカバー1.5冊分程度の本の内容を、新書一冊に押し込んだため、微妙に内容が喰い足りないような。前半は、文永・弘安の役の経過を紹介。後半は、蒙古襲来絵詞を解読。
 基本的骨子は、こんなところか。『八幡愚童訓』は創作文芸。モンゴルは戦略物資である硫黄を南宋に供給する日本を叩く必要があった。文永の役は一週間ほど続いた戦闘だった。文永・弘安両方とも、志賀島が蒙古軍の拠点となった。弘安の役では「神風」の後も死闘が続いた。戦闘の当事者に「神風」と言う認識はなかった。こんなところかな。
 後半は、蒙古襲来絵詞の解釈だけど、そもそも、全容をまともに見る機会がないなあ。本書とつき合わせながら、美術全集の類に収録されているのを見るか。文永の役では、初日に負傷して、その後は対象外。弘安の役では、志賀島への潜入偵察や博多湾での海戦などが描かれている、と。「異時同図法」で、同じ絵の中に、異なる時間の出来事が書き込まれているから、予備知識がないと、解釈が難しいな、と。両役の間の安達泰盛との面談では、馬をもらったことが特筆すべきことであった。海東郷地頭職を手にしたのは、弘安の役で首級を挙げたため。また、安達泰盛が滅び、その与党の所領が分配できるようになったから。安達与党であった竹崎季長は、肥後にいて、連座を免れた、と。
 竹崎季長が、長門国の三井氏の係累で、それなりの家格を持っていた。長門国竹崎が苗字の地であるという指摘は、驚きだな。このあたり、何かを言うだけの知識はないが。前著『蒙古襲来』では、玉名郡竹崎が苗字の地で、菊池氏系と述べていたところから、研究の進展で見解が変更ということらしい。


 「戦後」の長さも印象的だな。鎌倉幕府は、その存続期間を通じて、元への警戒を解かなかった。さらに、15世紀にいたっても、石築地の維持のための費用を確保するための所領が存在したとか。ずいぶん長く維持されたのだな。


 終章では、神風特攻隊に言及。実態は「志願」ではなかった。あるいは、職業軍人は温存されていた状況など。本当に、あの無道な作戦を、賛美することはできないよなあ。そして、それのタイトルとなった「神風思想」の罪深さ。