闘いを記憶する百姓たち: 江戸時代の裁判学習帳 (歴史文化ライブラリー)
- 作者: 八鍬友広
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2017/09/15
- メディア: 単行本
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そして、このような法律参考書の存在から、自力救済で紛争が解決されていた戦国時代以前の状況から、訴訟で紛争を解決する「公権的平和」の時代への移行を可能にした、文書主義や法律的知識の蓄積といった民衆の側の力量の蓄積の姿が見えてくる。
一方で、目安往来物は、教材化されたのは17世紀の訴訟記録に留まり、また、写本として広い範囲に普及したが、結局、印刷されて広汎に普及することはなかった。これは、手習いには、もっと簡単な手本の本が普及。訴訟関係の教科書としても、マニュアル本や嘆願書の文例本などの選択肢は拡がっていっていた。さらに、義民を語る伝承にしても歌舞伎の演目化して、定型的な「義民」伝承パターンが広がることで、文化的側面も塗り替えられる。結果として、地域の歴史史料として幕末まで余喘を保った、と。
目安往来物の元となった事件が興味深い。酒井忠重改易から、混乱後、百姓36人処刑という結果になった寛永白岩一揆。白岩目安に書かれた「苛政」、どの程度、現実なんだろうか。まあ、その後、お家騒動を引き起こしたり、酒井忠重と言う人物がアレっぽいのは確かなのだろうけど。
この時代の抵抗運動が、訴訟という形をとっていたこと。これには、支配者側が「百姓成立」を維持する「仁政」を行わなければならないという思想の定着が要因にある、と。19世紀になると、こういう運動のスタイルが崩れ、武装闘争的なものに変質していくそうだ。
上田銀山の帰属をめぐって高田藩と会津藩が争った白峯銀山目安も興味深い。限定的な実力行使を含みつつ、抑制して、訴訟に持ち込む紛争解決の流れ。「自重と逼塞」を強調する論法。どちらも、百姓が訴訟の名義になっているが、費用や訴状の作成指導などで、深く藩が関与している。それが、百姓自身が裁判を行ううえでの、お手本になったと。
ただ、ちょっと物足りない感はあるなあ。具体的に、それが、どこまで学習者の身になったのか。いや、そんなの史料がないだろうけど。