シンポジウム「熊本地震による赤れんが建造物の被害と復旧」

 うーむ、めちゃくちゃ時間がかかった。土曜日のシンポジウムのまとめをやっと終える。不安定なことろでメモしているので、ノートが読みにくくていかん。自分で書いた文字が、全然読めねえ…
 熊大の重要文化財建造物である、五高記念館や工学部研究資料館の地震被害と現状、そして今後の展望を紹介するシンポジウム。近代建築の研究者で、各地の近代建築物の保存に関わる河東義之氏、熊大の重文建造物の工事主任で文化財建造物保存技術協会の職員の高橋好夫氏、熊大施設管理課の副課長の本田護氏の三方による報告。
 工事現場の服装の人がたくさんいたり、明らかに客層が違ったのが、興味深い。あと、講演時間を伝え忘れて、最初の河東氏が2時間しゃべって、その後がめちゃくちゃ時間押しちゃったり。


 ざっとまとめると、熊大の重要文化財煉瓦造建造物、外観からはそれほど被害がなかったように見えるが、解体してみると、なかなかダメージが深刻、と。素人目には、煙突が落っこちた以外、そう大きなダメージは見て取れなかったが、レンガ壁の躯体にダメージが入っているらしい。
 レンガ壁への屋根の荷重負担の軽減や躯体の緊密化が、修理補修の眼目、と。

河東義之「東日本大震災における煉瓦造建造物の被災と修理・活用」

 基調講演は、東日本大震災による煉瓦造建物の被害の紹介と、煉瓦造建造物の修復の歴史について。東日本大震災で試された技法が、熊大の煉瓦造建造物にも使われている。
 また、煉瓦造建造物の修理・耐震補強については、確立した工法がなく、試行錯誤する必要がある難しさがある。将来、より良い方法が出てくる可能性を考慮して、本体を傷めないようにしつつ、最善の方法をとる必要がある。なるべく、侵襲性の低い工法の模索。


 東日本大震災では、国宝や登録文化財が、500~700件ほど、破損。その中で、煉瓦造建造物の被害件数は比較的少ない。これは、東日本で、煉瓦造があまり普及していなかったこと。被害が大きかったのは、土蔵造りや石造の建物。また、茨城県の被害件数が突出している。これは、積極的に登録が行われていたという事情もあるだろうという話。
 震度5強あたりが、被害の境目になっている。土浦や桐生、深谷などに、被害が集中した地域があるそうだ。
 煉瓦造建造物が比較的多い場所の紹介。土浦市の旧土浦宿に、3件ほど煉瓦造の蔵が残っていたが、一軒だけを残して、解体。その一軒は、あとで紹介される、市所有のもの。福島県喜多方市は、震度5弱で、比較的被害が少なかった。足利市には、繊維工場として使用されている煉瓦造の建物が、まだまだ残っているが、こちらも震度5弱で、被害軽微。岩手県雫石町小岩井農場のレンガ造りのサイロも、被害が少なかった。
 煉瓦造の建物は、目立つだけに、被害が大きかったとみられがち。あと、文化財ドクターが派遣される前に、壊された建物が多い。なんとかできる可能性もあったのに、とか…


 で、実際に東日本大震災で被災した煉瓦造の建物の修復事例の紹介。茨城県牛久市のシャトーカミヤ(現・牛久シャトー)と土浦市の土浦まちかど蔵「野村」の事例を紹介。
 1903年に建設され。旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫が重要文化財に指定されている。吸水性の高い、強度の低い煉瓦が利用されているため、煉瓦ごと、壁に亀裂が入るといった被害を受け、同程度の地震に耐えられる補強工事が行われた。
 壁の中に引っ張り補強材を挿入したり、内部に鉄骨を組む水平構面補強などなど。醗酵室には、裏手に、外から支えるバットレスを設置。地下室の環境を変えないために、裏手とはいえ、外に出るようにした。
 より良い工法が出てきた時のために、なるべく元に戻せるような工法を採用。多少、見栄えは悪くとも、という方向性。部分的には、鉄筋コンクリによる補強が行われていて、そこに関しては、文化庁の許可を得ている。
 関連:
牛久シャトー - Wikipedia
東日本大震災と破損状況 | 新美術情報2017


 後者、土浦まちかど蔵「野村」は未指定文化財。こちらも、壁面に亀裂が入るなどの被害。震災以前から市の所有で、ギャラリー・喫茶として利用されていたもの。取り壊しに着手寸前に文化財ドクターの働きかけで、保存にきまったそう。文化財ドクターの介入が間に合った点で「運がいい赤レンガ倉庫」、と。
 レンガ色のモルタルで亀裂を埋める。鉄骨の臥梁を新設し、それを地面に差した鉄骨で支持して、屋根構造の荷重を負担。妻側の煉瓦壁には、目地から斜めにピンを打ち込み、構造を強化。こちらは、シャトーカミヤと比べると、かなり侵襲的な補強が行われている感じ。熊大では、ピンの打ち込みは採用されていない。
 ちょろっと述べられた、30-40年前には、土浦宿には商家建築が多く残っていたのが、伝統的建造物群保存地区に向けて調査したら、バタバタと解体されたという話も。やはり、負担がきついのかねえ。
 関連:
土浦宿 - Wikipedia
土浦まちかど蔵「レンガ蔵」:永井昭夫建築設計事務所|設計者の想いの日々(ブログ)|茨城県
「千葉県・茨城県」のブログ記事一覧-ぼくの近代建築コレクション


 第三項目は、近年の煉瓦造建造物の耐震補強工事の歴史。
 「非可逆性と可逆性」というキーワードが付されていたが、まさに、最近の潮流は「可逆性」というところにある。そもそも、現代の鉄筋コンクリートの建物は、非常に荷重につよいが、金属材料を使用しているため、200年も存在し続けることは考えがたい。長いスパンで見ると、実はたいしたことがないと見ることもできる。また、煉瓦造建造物は、歴史が比較的浅いため、技術的蓄積が少ないという問題もあるという。耐震補強に関しては、外国人の研究がメインであるとか。
 1970年代には、このような可逆性に対する認識がなく、内側に鉄筋コンクリートの構造を設置してしまう例が多かった。同志社のハリス理化学館や近衛師団司令部庁舎は、この事例で、内部はほとんど文化財に指定されていない。また、このような鉄筋コンクリートによる補強は、外部より、補強構造の方が寿命が短く、改めて補強対策をする必要がある点で、将来へ受け継いでいくには、問題があると認識されるようになった。
 このため、近年の耐震改修工事は、現状になるべく手をつけない、元に戻しやすい工法が採られるようになっている。旧下野煉瓦製造会社煉瓦窯は、一般公開する1/4程度は、コンクリートのアーチに煉瓦を貼り付ける方式を採っているが、残りの部分は、内部に鉄製の補強梁を設置し、原状復帰がしやすいように配慮されている。島津家袖ヶ崎本邸は、煉瓦壁の内部に、縦に補強材を入れるプレストレス補強、ピン打ちなどの広報が採用。また、慶應義塾大学の図書館は、免震工法が後から適用されている。
 「可逆性」といいながら、ステンレスピン挿入は、かなり乱暴な手だよなあ。あと、基礎部分の文化財や遺構としての価値までは、考えられていないのだな。
 関連:
重要文化財日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設保存活用計画
日本初!内装・外装そのままで、居ながらにしてレンガ造建物の耐震補強|ニュースリリース2009|ニュース・イベント|株式会社 竹中工務店
最新技術で「煉瓦造」を継承する|特集 歴史的建造物の継承設計|LIBRARY|株式会社三菱地所設計


 最後は、「コンドルによる煉瓦造建築の耐震化」ということで、近代建築の父にして、耐震構造研究についても先駆けとなったジョサイア・コンドルの話。煉瓦造建築の耐震設計についても、先駆的な業績を残している。特に、煉瓦造建築が大損害を受けた濃尾地震以降、徹底的な対策が行われている。帯鉄、鉄梁防火床、振れ止めなど。また、建物の基礎を重視し、ベタコンクリート地形や摩擦杭による杭打ち地形が実施された。三菱一号館では、びっしりと打たれた摩擦杭が発掘されている。
 立派な杭がそれこそ大量に打たれていて、コストがかかっているなあという感じ。
 あとは、工科大学のひな形としての、日本の工部大学校。工科大学の設立を目指したイギリスのランキン教授の教え子で、その後活躍する人材が、大量に日本に送り込まれているそうだ。
 第五高等学校の建築物も、コンドルの教え子、久留正道が関わっていて、実際に図面を引いたのは久留なのではないかと言う話。濃尾地震の前だが、耐震についての配慮が行われていた可能性が高い、と。レンガの強度が高い、目地にセメントが使われているなど、国の事業だけにしっかりとした工事がなされている印象だという。
 関連:
ジョサイア・コンドル - Wikipedia
工部大学校 - Wikipedia
明治の文明開化を開いた工部大学校
はじめに|本の万華鏡 第16回 日本近代建築の夜明け~建築設計競技を中心に|国立国会図書館

本田護氏報告

 熊大の施設部施設管理課副課長という、いわば、発注側の立場での報告。
 熊本大学のキャンパスマスタープラン2015で、五高記念館から工学部研究資料館の間を、シンボルゾーンとして整備する予定とか、耐震補強を計画とか。しかし、策定直後に地震地震被害が想定より大きくて、計画より、壁面に縦にアラミドロッドを挿入したり、目地にアラミドのロッドの量を増やすことになった。
 地震の被害としては、五高記念館や化学実験棟の煙突の落下。外壁のひび割れなど。工学部研究資料館は、よりひどくて、ひび割れの余震による拡大や内部の木組みのズレ、外壁が外側に傾斜しているなどなど。内部に大空間を持つ工場は、地震に対して脆弱だったと。
 応急対応工事で、煙突の撤去、仮設補強施設の設置など。ここいら、写真撮ってるな。赤門は、修復修理完了、と。


 重要文化財の煉瓦造建築以外では、工学部一号棟と医学部の外来臨床研究棟の被害が大きかったと。工学部一号棟は、建て替えがかなり進んでいる。しかし、コンクリート打ち放しは、いまどきどうなのだろう。
 下のリンクを見ると、外来臨床研究棟のダメージが大きいな。柱が剪断破壊って…


関連:
キャンパスマスタープラン2015年度版 | 熊本大学
平成28年(2016年)熊本地震 被害状況と復旧に向けた対応状況
平成28年熊本地震記録集を作成しました | 熊本大学

高橋好夫氏報告

 公益財団法人文化財建造物保存技術協会事業部技術職員で、シャトーカミヤや熊大の重文建築物の工事主任を務めている。
 工事の当事者としての報告。被災状況の写真が多数紹介されているが、現状は、漆喰や屋根の小屋組の解体が終了した段階のようだ。煉瓦壁を露出させてみると、意外と被害がひどい状況らしい。一階から二階に続く、斜めの亀裂とか、やばそうな損傷がいくつも。これから、そういうのを取り入れた図面の作成といったステップが必要だそうで。
 屋根の解体や内装の漆喰を剥がしたことで、いろいろな発見も。復元教室の黒板を剥がしたら、古い黒板が出てきたり、さらにその下には、創建当時の黒板の断片が残っていたり。なんか、ラシャの漆喰を塗り重ねて作ったものらしい。あとは、同じく復元教室の話だが、建設途中に階段教室に変更しようとして、印をつけたりしていたが、結局、そのまま当初の設計で作ったと言うことが明らかになったりとか。
 工学部研究資料館の方は、作業が遅れているが、こちらも古い姿がいろいろと明らかになっている。途中で改造されているが、当初の工作機械の据え付け場所が分かるかもということで、慎重にコンクリの床を剥がしているところらしい。こちらは、五高のたてものから、20年ほどの後のもので、屋根の野地板の処理の違いなど、建築様式も異なっているらしい。