『丸』2019/3号

丸 2019年 03 月号 [雑誌]

丸 2019年 03 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2019/01/26
  • メディア: 雑誌
 特集はフォッケウルフFw190戦闘機。やっぱ、レシプロ戦闘機は空冷星形エンジンじゃないとね。期待の次期主力戦闘機が、なぜ、全面的に取って代わることができなかったのか。

大塚好古「勝利の名戦闘機Fw190メカニズム解剖」

 頑丈で量産に配慮した航空機。ソ連のI-16戦闘機のテストから、空冷に決められた。武装と装甲の追加で重量が増え、D-9の時点で、6Gの戦闘機動が実施できる限界重量を食い潰してしまっていた。操縦機構はロッド式で重くなるが、全領域で良好な反応を示した。
 あとは、さすがの重武装とか、各種の装甲、エンジンなど。コマンドゲレートという発動機・プロペラピッチ・過給器の調整がスロットル操作のみで可能な機構が装備されていたが、不整合事故が頻発したとか。難しい機構は良くないのね…

宮永忠将「ナチスの猛禽Fw190アクションリポート」

 Fw190の戦歴。英仏海峡で制空権を確保する鮮烈なデビュー。その後、アフリカや東部戦線で戦闘機として、攻撃機として活躍。本土防空戦では、恐るべき損害を与えるが、同時に大型爆撃機の撃墜は、単発戦闘機にとっても危険な任務であった。さらに、ソ連のバグラツィオン作戦や英米軍のノルマンディー上陸など、ドイツの崩壊。その中で、ノルマンディー海岸上空やバルジ作戦での上空援護で消耗していく。

野原茂「“最後のレシプロファイター”Ta152」

 Fw190の全般的性能向上から、高高度戦闘機へ。対地攻撃や標準型といったさまざまな形式が検討されたが、結局、実機ができたのは高高度戦闘機型のみ。しかも、最高時速750キロという高性能を発揮したものの、すでにジェット戦闘機が実用化している状況で、色あせ、Me262の離着陸援護に少数機が生産されるにとどめられ、完成機数は42機、と。

古峰文三「生産計画から見たFw190の真実」

 載せるエンジンに苦しんだFw190。エンジン生産の停滞と、ジェットエンジン生産への転換という端境期で、エンジン供給が思うに任せなかったのが、全面的に取って代わることができなかった要因である、と。
 Bf109が小型で発展性のない、量産性の悪さ、さらにメッサーシュミット自身がジェット戦闘機の開発に傾倒していた状況から、航空機総監ミルヒは、Fw190に全面的に置き換えることを狙っていた。しかし、エンジンの供給の問題などから、最後まで置き換えることができずに終わってしまった。
 最初の躓きは、空冷エンジンBMW801の生産量の少なさ。新型エンジンの供給力不足が問題であった。そこで、DB603エンジンに置き換えることが考えられたが、これは、エンジンの試作が不調で、また801に逆戻り。エンジンの供給の先細りのなかで、増産のためにJumo213を搭載した液冷型が誕生。しかし、こちらもジェットエンジンの増産で先細りが見込まれる中、ジェットエンジン開発から脱落し、さらにエンジンの熟成も進んだDB603搭載が最後の希望になる。しかし、603の供給も本土が攻撃にさらされ不十分。混乱の中で終戦を迎えることになる。
 さらに、こちらも重要な地上攻撃型が、生産機から引き抜かれ、戦闘機の更新はいっこうに進まない。最終的にBf109を代替することができず、主力戦闘機の座を占めることができなかった。

古峰文三「Fw190が日本機にもたらしたもの」

 1942年まで、最新鋭機の情報を入手できていなかった状況。その上で、オーソドックスな設計の空冷戦闘機に対する興味もそれほど強くなかった、しかし、強制冷却ファンによる抵抗減少や五式戦の空冷エンジン艤装などのアイデアは取り入れられているという。

荒蒔義次「陸軍テスパイのFw190試乗インプレッション」

 テスト飛行をしたときのインプレッション。性能的には日本の戦闘機も伍するという感じなのか。一方で、エンジン交換で性能向上を図ったときの発展性では、圧倒的に勝るという感想。この人がP-51に乗ったらどういう感想を持つのだろうか。

渡邊陽子「空自F-4ファントム部隊の軌跡」

 退役を目前にしてのまとめ。制空戦闘機から爆撃メインへの機体改修。偵察機型の活躍など。米軍を1996年に退役した機種が現在まで運用可能だったのは、ライセンス生産で部品を自前供給できたから、と。

藤田昌雄「昭和陸軍の戦場第15話:戦場の食事1」

 日本陸軍の戦場での給養の話。戦地での食糧供給は、基本的な分量が決まっていた。穀物800-1000グラム、缶詰肉150グラム、乾燥野菜100グラムに漬物や調味料。1合の米が150グラムだから、一食2合弱の麦飯ないし白米、パンなら300グラムだから1斤程度。そうとう、主食の割合が多い食事をしていたのだな。肉体的負担が大きいからカロリーはそれだけ必要だった。一方で、タンパク質やビタミンは少なめという感じがするな。
 あとは、野戦炊具の解説。組み立て式の炉を使って、大隊単位で炊事を行う。第二次世界大戦のドイツ軍は中隊たんいだったけど、ここいらの基本単位の違いって、どういう経緯があるのだろう。
 六つの鍋で炊飯を行うと450人程度の食事が炊ける。ということは、一食に2回から3回程度の炊飯が必要なのか。とすると、やはり3-4時間は必要かなあ。

高橋昇「日本海軍落下傘兵“訓練&輸送機便覧”」

 海軍の落下傘部隊の歴史。ドイツの降下猟兵の活躍を見て、1940年から準備が始まった。パラシュートは、最初は戦闘機などの脱出用を流用。徐々に改良を重ねていく。武器が索具に絡まると、致命的な事故が起きるから、なかなか武器を持たせるのが難しい。拳銃一つで敵地に飛び降りることになる。なるべく武器へのアクセスが容易になるように工夫が行われた。
 輸送機としては、陸攻改造の九六式輸送機や陸軍の九七式輸送機を採用した「中島式双発輸送機」などが運用された。
 実戦はセレベス島のメナド周辺、ランゴアンとカカスの両飛行場への降下。チモール島のクーバンへの降下が行われた。やはり、降下作戦は損害が多きのだな。

堀場亙「日本海軍軍港ものがたり 最終回:要港・警備府・泊地」

 青森の大湊、朝鮮半島の鎮海の二要港。朝鮮半島の永興、山口県の徳山の指定のみの要港、大阪と南海島の警備府、海外の泊地など。
 北方の防衛の要となった大湊、すったもんだの末に鎮守府が置かれず、事実上の拠点となった。
 鎮海は、日露戦争時には、日本海軍の前進根拠地になったが、その後は軍事的重要性が低下。