荒牧重雄『噴火した!:火山の現場で考えたこと』

 「火砕流」の名付け親で、世界中各地の火山噴火の現場や対策活動に関わった著者の回想記。火山学者は、噴火があると飛んでいくのね。海外の現場の状況も印象的。ヨーロッパ系の火山学の変化の時代とか、日本でも火山噴火のたびに手探りの対応をしていた姿とか。
 というか、行政関係者で、「火砕流」という噴火のあり方をタブーにしてきた歴史があるのね。官僚らしい、都合悪い情報隠しというか。雲仙普賢岳の噴火以前には、運良く火砕流による大被害がなかっただけで。
 あとは、なにやら危なっかしいこともやっているなあ。伊豆大島1950-51年噴火の際に、研究室から勝手に観測機材を持ち出して、溶岩に突っ込んで抜けなくなった先輩達のエピソードとか、アイスランドの火山を見に行って、整備不良の車をあてがわれて遭難しかけるとか。若手の研究者が、アイスランドの増水した川を渡ろうとして遭難したとか、フィールドの厳しさがわかるというか。
 ペンシルバニア大学で高温高圧環境での溶岩の研究をしていて、実験装置を爆発させまくっていたというのも、なかなかマッドサイエンティストな感じだ。著者自身も吹っ飛ばして、数日耳が聞こえなかったとか…


 基本的に年代順に配置。そして、最初に火砕流の研究では切っても切れない1902年のプレー火山噴火を1章に配している。
 しかし、プレー山の火砕流、一瞬で都市が一つ、3万人からの人口が一瞬で消し飛ぶというのが恐ろしい。市内の住民で助かったのは2人、他に停泊していた船のうち2隻が転覆を免れ、火傷や打撲を受けつつ、船員の半分程度が生き延びた。これで、南西側に広がった、被害範囲が限られているというのが恐ろしい。その前日には、マルティニーク島から南に二つ目のセント・ビンセント島でスフリエール火山が噴火して、1600人が死亡しているという。近い地域で、次々と大惨事が起きている。セント・ビンセント島、地図で見ると、スフリエール火山の麓は、南側の地域と比べると、海岸沿いに集落があるだけで、谷をさかのぼっていないのは、火砕流の影響なのだろうな。
 このプレー山の事例から「熱雲」「ヌエアルダント」という用語が定着しかけたけど、火砕流堆積物に様々な違いがあったり、上は破局噴火クラスから下は雲仙火砕流とスケールに大きな差がある事象を統一的に説明するために、「火砕流」という用語をピックアップした、と。
 しかし、日本語でのプレー火山の1902年噴火、大惨事のわりに日本語の情報が少ないな。ラクロワの直後の報告書、日本語訳か、せめて英訳があれば…
 Wikipediaの記事、プレー山によると、あれだけの惨事を引き起こして、サン・ピエール市を直撃した火砕流は本体ではなく、谷で遮られた低密度の部分だったという。
 あとは、地質ニュースのマルチニーク島のプレー火山:その発達史と活動史というのがあるな。


 博士論文は浅間山で、日本の火山については濃尾地震後に「震災予防調査会」で大概の日本の火山は調査報告が出ているけど、ここだけは、調査を命じられた学生と教授が衝突してお蔵入りになったらしいという話が印象深い。そこからアメリカ留学。高温高圧下での岩石の様相を実験したり、大陸横断旅行に出たり。
 その後、ヨーロッパ経由で帰国。1960年前後のヨーロッパの火山学は、ちょうど端境期だったのだな。19世紀的なディレッタンティズムから、実験、放射年代測定、機械観測などを用いた現代的な火山学への変化の時期。その後、1976年のグアドループ島のスフリエール火山噴火で、国内の学者の意見が対立して、収拾が付かなくなって、日米の学者を呼んで調停するとか。
 月の表面が玄武岩か、花崗岩かで意見が分かれていて、どっちでも良いように準備していた話とかも興味深い。現地で玄武岩であることが確認された。未固結の火砕粒子が堆積というのも、なかなか異様な感じでかっこいいな。


 ハワイのキラウエア山の1963年噴火、現場の研究者の慌てぶりとか、その後の噴火で当時のアラエ火口が溶岩に埋まってしまっている状況などが興味深い。
 アイスランドの火山も興味深い。アイスランドは海嶺の続きだから、東西にいくほど古い溶岩になるのね。あとは、水中で噴火した時にできる卓状火山が興味深い。枕状溶岩が積み重なって急斜面ができるけど、自ら頭を出すと盾状火山になって、傾斜が緩くなる。傾斜の転換点が水中から頭を出したところで、氷河の底で噴火すると、当時の氷河の厚さがわかるという。
 1980年のセントヘレンズ山の山体崩壊も衝撃的だな。9キロ離れた観測点で観測していた研究者が、山体崩壊にともなうブラストに吹き飛ばされて、行方不明。山体崩壊、怖い。グーグルマップの地形レイヤーで見ると、川の下流まで流れ山が残っていて、大規模に崩れたのがわかる。
 裾野のスピリット湖は景勝地で別荘があって、そこに残った人々が57人犠牲になっている。まあ、ここいらは自己責任だよなあ。ハリー・トルーマンという老人が、「絶対に噴火しない」と残って、60メートル以上の岩なだれ堆積物の下に埋まったというけど、遺体と山荘、粉々だろうなあ…


 国内だと、1983年の三宅島、伊豆大島1986年噴火の溶岩流が印象的だな。人家にせまって、バスを動員しての危険な中の避難を行った三宅島、東側で割れ目噴火の可能性が示唆されて大混乱に陥った伊豆大島伊豆大島の臨場感がすごいなあ。
 そして、雲仙普賢岳の1991年噴火。大火砕流による被害。「火砕流」の規模としては、最小規模だったが、危険を知らずに、報道陣や住民が接近していて、犠牲になっている。一方で、サージの周縁部では火傷しながらも、脱出に成功している人もいる。あるいは、家屋が最終的に焼失しているけど、それなりに時間が経ってから炎上しているという。
 自衛隊の観測能力とか、突入して救助を行っている姿も印象深い。外縁部だと、戦車や装甲車の内部にいれば、火傷はしないだろうけど、エンジンが火山灰で詰まって壊れるし、場合によっては窒息の危険もあるよなあ。


 火山の側に立地していて、本気でベスビオ山やカンピフレグレイが噴火したら、丸ごと吹っ飛びかねないナポリやその近郊都市郡。1983年から84年にかけて、カンピフレグレイカルデラ内のポッツオーリという都市では、火山性地震と地殻の上昇で旧市街が破壊されて、多くの人が避難生活を余儀なくされ、その後もなかなか帰還できずに揉めたという。下手すると、都市の真下で噴火する可能性があったんだよな。怖い。
 1794年噴火の溶岩流の上に再建されたトールエルグレコ市がなんかすごいなあ。火口から6キロのベッドタウンとか…
 ナポリ市は、災害対策を研究してみたけど、最終的にドウしようもないという結論か。