『ミリタリー・クラシックス』Vol.86

 第一特集はドイツ戦闘機メッサーシュミットBf109、第二特集は八九式中戦車。

メッサーシュミットBf109

 ドイツの主力戦闘機たるBf109、14年ぶりの再特集らしい。
 九七式戦闘機相当の戦闘機が、エンジンを変えながら、第二次世界大戦を戦い抜いたというのがすごいなあ。まあ、戦闘機の需要を埋めるのに生産を続ける必要があったとか、後継機が十分揃わなかったとか、事情はあったわけだけど。それだけ先進的な仕掛けがなされていた。
 胴体は後半部が比較的長く設計され、水平尾翼の取り付け位置を高めることによって不意自転傾向と無縁だった。ここいらの、空戦で無理が利いたあたりが、ベテランパイロットに好まれたのだろうな。また、主翼はプレス製造のリブで手作業が少なく、工数削減が可能であった。また、主翼面積が小さく、高翼面荷重で、最初から高速指向であった。でありながら、高揚力装置が取り付けられ、初期のJumo210装備の初期型は、比較的扱いやすい機体であった。
 しかし、エンジン換装にともなう重量増加にもかかわらず、高揚力装置はそのままで、大幅に離着陸速度が上がり、かつ、胴体側に付け根を持つ主脚間の幅が狭い設計は、鉄道輸送には便利だが、離着陸時の事故率が高い機体にしてしまった。
 また、小型の機体は、武装強化や燃料搭載量増大などの必要に対応できなかった。まあ、20ミリ機関砲に、13ミリ機銃なら、戦闘機相手には十分だよなあ。
 あとは、運用の項で、地域を担当する航空艦隊が地域での戦闘状況に即して、戦術や機材の構成を独自に工夫する権限が与えられているのが興味深い。東部戦線の第4航空艦隊は近接航空支援システムを確立して、そのためのマウントが多様に準備された一方で、無線や航法支援装置が下ろさる。逆に、本土防空任務の航空艦隊「ライヒ」では夜間戦闘用のレーダー、敵味方識別装置や地上管制用の無線装置が充実するなどの差が出たという。


 だいたい、前期・中期・後期くらいに分けられるのかな。
 最初は、Jumo210の開発が遅れて、イギリスのケストレルエンジンを積んだ初号機。ラジエターの空気取り入れ口がなかなか凝った形に。その後、Jumo210装備でテスト、量産へ。こちらの方が雑な角形ラジエターという。最高時速は470キロ程度、全開高度が2700メートルだから、ほんとに九七式戦闘機相当なんだな。
 将来のライバル相手に物足りない性能、対爆撃機の火力不足を解消するため、エンジンをダイムラーベンツのDB601に換装し、プロペラ軸に20ミリ機関砲を装備するのが中期のE型。カウリングがゴツゴツした形になったのが印象的。エンジンの重量が200キロ増え、さらにラジエターやオイルクーラーも大型化して、全体で500キロ増加。事故の多い機体になってしまった。
 さらに、空力を洗練させたのが後期のF型。後継機としてFw190の発注が行われたのに危機感を抱いての改良。カウリングが長く、スッキリとした形に。水平尾翼の支柱も廃止。翼内武装も廃止して、横転性能も上昇。その後、エンジンをDB605シリーズに換装したG型へ。
 速度に優れるP-51を振り切るための水エタノール噴射装置でブーストパワーを強化したり、金属資源を節約するために主翼を木製化しようとして、生産性が下がると中止され、部分的に木製化されただけのG型になったK型が生産。後継機計画はBf309の失敗や、全面的なジェット戦闘機化の動きのなかでジェットエンジンの開発製造に乗り遅れたダイムラーベンツ製エンジンを載せたBf109が生産され続け、ズルズルとBf109の後継機がBf109になってしまったというのも…


 戦歴も印象深い。
 最初に実戦投入されて名を博したスペイン内戦。実際には、ソ連のI-16と性能的に変わるところはなく、ベテランパイロットの戦術的工夫が大きかった。まあt、地上で空軍が撃滅された。
 その後のポーランド戦では英仏に備えて最新鋭機は西に重点配備。フォニー・ウォーではどちらかというと負け越し。フランス侵攻でも純粋な空戦では負け越し。だが、こちらも低地地方での戦闘を支援する基地群が地上部隊に蹂躙されて、戦闘力を失ったが、Bf109は航続距離の短さからフランス国内での作戦がなかなかできなかった。
 バトルオブブリテンのドイツ側のイギリス戦闘機戦力の過小評価とイギリス側のドイツ軍爆撃機の過大評価によるイギリス戦闘機の分散配置が、互角の戦闘を演出した。最終的に、いつまでも減らないイギリス軍に、ドイツ側が諦める形で戦闘終了、と。
 独ソ戦の空戦も興味深い。緒戦は航空撃滅戦がうまく嵌まり、大戦果を挙げた。さらに、スペイン内戦で冬季戦の経験があるドイツ軍は野戦用暖気設備をもっていて、貧弱な基地設備のソ連軍に対し優位になった。しかし、拡大した戦場と航空戦力の抽出で、作戦援護の途中で息切れするようになっていった。また、北部では固定された基地から作戦を行える一方で、めまぐるしく戦線が行き交った南部では、攻勢のたびにソ連軍が終結させる主力部隊との真っ向勝負になり、消耗が激しかったが、生き延びた一部のエースはものすごい勢いで撃墜を重ねることになった。超エースが出た要因か。
 一方で、本土では4発重爆による戦略爆撃に対する迎撃戦が行われたが、重爆の邀撃は運に頼る部分があり、技量の優れたエースでも生き延びるのが難しかった。さらに、P-51の護衛が付くと、ますます難しくなり、戦闘機隊を消耗させた。
 ノルマンディーの戦いでのドイツ空軍の戦いの印象的。内陸の秘匿飛行場に進出して、激しく戦い、戦闘機対戦闘機の撃墜数ではドイツ側が多いなど、アメリカ軍に完全に制空権を握らせなかった。ヴィットマンと戦いとか、SS師団ヒトラーユーゲントの勇戦の上空では、徹底的に偵察機が貼り付かない程度には連合軍航空機が追い払われていたのね。
 これは、連合軍が戦線を突破して、秘匿飛行場群を地上から攻撃すると、本国に撤退。その後も、バルジの突破作戦での航空支援、さらに、その後の航空撃滅作戦ボーデンプラッテ作戦が行われるが、後者で指揮官クラスを多数失い、組織的作戦が不可能になった上に、交通網が爆撃で寸断されて戦闘力を失った。それでも、最後の段階でも1000機程のBf109が運用され続けていたという。


 各国航空機との比較も興味深い。日本が広大な島嶼地域での戦闘のために長大な航続距離を要求したのに対し、ドイツは速度などが重要だったと。零戦が長大な航続力を誇ったのは、巡航速度時の燃費が非常に良かったためで、全開運転を展開した時の航続距離では大差がないというが興味深い。一方で、DB601系エンジンは、全開時の燃費に優れるという。初期のBf109と零戦は略同等の性能で、なら航続距離が長い方が便利だよなあ。
 激しい運動をすると失速するため高速を武器に戦ったスピットファイア、低空の運動性や速度で勝るハリケーン、鈍足だけど意外と戦えたMS.406など。
 あと、1500馬力クラスのエンジンで700キロを叩き出してくるマスタングの空力的洗練の脅威とか、2000馬力のエンジンで同じく700キロを出してきたグリフォンスピット

八九式中戦車イ号

 「鉄牛」こと、八九式中戦車の特集。
 割と好きな戦車。前にドアがあったり、足回りが旧式とか、ほどほどに大きい主砲とか、リベット車体とか、めちゃくちゃかわいいのだけれど。だけど、まあ、実際のところ戦間期の戦車だよなあ。個人的には甲型が好き。
 車載機関銃が45発入りな弾倉を使ってるの、不便じゃねと思った。スペース的に交換めんどそうだし。


 菱形戦車、ホイペット戦車、ルノーFT17などの大戦型戦車を輸入・研究して、自国開発に進む。で、最初に製作された試製第一号戦車から軽量化を求められたのが八九式戦車、と。ヴィッカースMk.C戦車を輸入参照している。というか、全体的に、なかなかそっくりだよなあ。実戦では、ルノーNC戦車より、優れていたと評価される、1920年代末から30年代頭には有力な戦車であった。まあ、八九式が1929年、ルノーNCが1925年だから、時期の差はあったかも。しかしまあ、後世への影響で、小型化を望まれたというのが…


 初陣は1932年の第一次上海事変。歩兵支援で活躍。さらに、1933年の満州事変熱河作戦の追撃戦に豆乳。しかし、この時点で、スピード不足で自動車化部隊についていけない問題が露わになっているのが。
 1937年からの日中戦争が八九式中戦車のキャリアハイという感じだなあ。対戦車火力に欠ける中国軍相手には、それなりに活躍できた。それでも、37ミリPAK相手に大損害を出しているのは、10トン級戦車の宿命ではあるわな。中国北部の戦線で転戦、上海の市街戦で活躍。八九式中戦車だと、西住少尉のエピソードは外せないのか。
 ノモンハン事件では、夜間突撃で砲兵4個中隊を蹂躙するなどの戦果を挙げているが、一方で、昼間突撃では大損害を被るなど、攻防ともに不足している状況も露呈している。
 太平洋戦争に入ると、旧式化は拭えず、フィリピン攻略に投入された程度。その後、ブーゲンビル島の防御戦うあルソン島防衛線に少数が投入されたが、弱体すぎて活躍の場はなかった。そして、戦後は日本軍が残した車両がインドネシアカンボジアで運用されている。インドネシア独立戦争では、オランダ、独立派双方で使われているという。


 各国の同時代の軽戦車との比較がおもしろい。こうしてみると、八九式中戦車はバランス型といった感じかな。最低限の装甲に、57ミリとそこそこ大きな口径の砲。しかし、火力に全振りしたT-26や英巡航戦車と比べると対戦車火力不足。一方で防御力に降ったマチルダ1(装甲厚65ミリ)やオチキスH35(45ミリ)は火力不足や戦力発揮で問題が。というか、マチルダ1、機関銃しか装備してないとさすがに使えなかったか。機銃を爆弾投射器かなんかに交換して工兵車両として使うくらいしか再生手段がなさそうな。2号戦車の20ミリ機銃は手数で便利そうな感じが。


ビッカースC型中戦車
ルノーNC型戦車

本吉隆「ストライク・フロム・ザ・シー:洋上航空戦力発達史」

 今回は、第一次世界大戦後の空母整備の動きとミッチェルの戦艦撃沈実験の話。
 イギリスが艦隊空母とそれを補助する水上機母艦、陸上航空兵力という三本立ての整備を継続する。陸上航空兵力は空軍の管轄にはいるが、この時点では海軍出身者が多く、意思疎通に問題はない。アメリカも、それに範を取った整備が行われる。一方、航空機発達の流れに乗り遅れた日本は、最初の空母鳳翔以後は、知見不足で停滞。仏伊も整備に乗り出す。
 一方、空軍主兵論者というか、空軍独立を狙うビリー・ミッチェルは、戦艦を実際に爆撃する実験で、世論を煽る作戦に。旧ドイツ戦艦オストフリースラントを標的とし、撃沈に成功している。まあ、この時期の飛行機だと現実に、動いていて、ダメージコントロールができる戦艦を撃沈するのは困難だろうけど、航空攻撃で沈めうることを実証する。一方で、それに対する反発も大きく…

有馬桓次郎「ミリタリー人物列伝」

 ニミッツの懐刀として、日本軍の動向を予測した情報主任参謀エドウィン・レイトンのお話。暗号解読情報を直通でゲットして、その情報を元に、自身の日本人観を加味して、動向を予測した、と。

白石光「世界の軍用銃 in WWⅡ」

 今回は、分隊支援火器こと、M1918BAR(ブローニング・オートマチック・ライフル)。要はフルオートの小銃、と。セミオートやボルトアクションのライフルと住み分けていた。一方で、軽機関銃程は打ちまくれない、と。

本吉隆「海外から見た太平洋戦争海戦史:第四回マレー沖海戦

 イギリス海軍のドクトリン的に、艦隊温存主義的な発想はなかったんだろうなあ。生き残って、ジャワ方面の作戦にうろちょろしていたら、めちゃくちゃ邪魔だったろうな。
 極東防衛は、ヨーロッパ方面が優先されて、値切られまくる。戦艦2隻がやっとだった。その虎の子の戦艦が、開戦劈頭に失われる。
 というか、輸送船団襲撃を断念した後、必死に逃げていれば助かったんじゃなかろうか。
 同著者の「ストライク・フロム・ザ・シー」のミッチェル実験の答え合わせにもなっているな。

「北海道で発見! 戦後を生き抜いた旧日本軍戦車」

 九五式軽戦車改造の更生戦車。営林署で牽引車として使われた後、ブルドーザーに改造。もう、改造の後も歴史だなあ。エンジンや計器板は交換されているのか。

古峰文三「『砲兵』から見た戦後戦史:第3回朝鮮戦争の火力戦・続」

 緒戦の敗走から、釜山橋頭堡の防衛線。そもそも、北朝鮮軍はソ連式のドクトリンで充実した火力を持っていたのに比べ、米韓軍は平時態勢の火力値切られモードで、火力の差は歴然としていた。さらに、消費の大きい105ミリ砲弾の在庫不足、砲兵陣地への切り込みを教範が無視した問題。さらに、平時体制のため、砲兵の要員を確保できず、規模の拡大ができなかった。
 そのような状況で、縦深の薄い釜山橋頭堡の防衛作戦は、日本から飛来して、上空待機するムスタングの近接航空支援に頼ることになった。空軍はT-6テキサン改造の空中管制機、海兵隊は大型双発機による空中管制で、近接航空支援を行った。
 しかし、反撃作戦で戦線が北に行った時に、どのように援護を展開するか、砲兵との住み分けはどうするかなどの課題があった、と。

内田弘樹イスラム教徒の枢軸軍:第26回インドネシア余聞」

 ジャワ島中部、スラマンで戦後に行われた英軍と日本軍部隊の共同作戦のエピソード。進駐した英軍や日本に抑留されていたヨーロッパ人の救出のために、英軍の指揮下で戦闘を行った城戸部隊のエピソード。これ、インドネシア人の使者も多数出ているけど、抑留ヨーロッパ人、どの程度犠牲者が出たのだろうか…

松田孝宏「奮闘の航跡:この一艦」

 今回は、戦艦香取を取り上げる。日露戦争に間に合わなかった準ド級戦艦、皇族のお召し艦としてはちょうど良かったのかもなあ。他には、第一次世界大戦サイパン占領とシベリア出兵時の警備任務に従事した程度。あとは、沖縄出身海軍士官の最初となった漢那憲和艦長のエピソードなど。

ストロー・クーゲルスタイン「ミリクラで語る珍兵器」

 今回は、T-28の後継として開発されていた多砲塔戦車オブイェクト115のお話。まあ、たくさん砲塔があると、車長の指揮が難しくなる上に、副砲塔の戦闘力発揮も微妙だろうなあ…

吉川和篤「Benvenuti!知られざるイタリア将兵録」

 イタリア潜水艦「コマンダンテカッペリーニ」とその艦長サルバトーレ・トーダロ少佐のお話。大西洋で作戦を行った同艦は、撃沈した商船の生存者を救助、中立地に送り届ける騎士道精神を発揮。
 その後、トーダロ少佐は特殊部隊「デチス・マス」に転属、作戦中に戦死。一方、カッペリーニは極東への輸送任務について、イタリア降伏に伴ってドイツに接収、さらにドイツ降伏で日本海軍に接収。戦後、米海軍により海没処分。

すずきあきら「WWⅠ兵器名鑑」

 今回は、ツェッペリン・シュターケンR.Ⅵ。これ、宮崎駿の「雑想ノート」で、豚が飛ばしていた奴だよね。18機製造されて、残存6機か…

野原茂「蒼天録」

 今回は試製景雲。液冷エンジンを二基結合した双子エンジンとか、それを機体中部に配して延長軸でプロペラ駆動とか、成功する見込みが全然なさそうな…
 で、ジェット化構想で計画中止を免れて、試作機の製作まで行くが、二度のエンジン火災で、初飛行が済んだだけという…

橋下若路「オスマン帝国装甲軍艦1862-1923」

 1860年代にスルタン、アブデュルアジーズ主導で装甲艦を大量に輸入。まあ、クレタ島の暴動を装甲艦のプレゼンスで抑止できているから、それなりに存在感はあったんじゃないかねえ。とはいえ、その海軍戦力を維持できなかったし、当のスルタンは海軍も含んだクーデタで幽閉からの死という…

「歴史的兵器小解説」

 105/26レイノサ榴弾砲、インセクト級砲艦、カーチスC-46コマンドの三者
 最初のは、スペインが戦時中から戦後にかけて生産した国産榴弾砲。ドイツのleFH18榴弾砲を参照した榴弾砲が、1990年代後半まで運用されたのか…
 二番目は、フィッシャー提督ドナウ川作戦に投入するために建造させた砲艦。こういう砲艦が好きなフィッシャー提督。結局、使うところがなくてエジプトや中国などで砲艦として沿岸河川警備に。居住性が劣悪だったらしい。
 最後、コクピット周りのデザインが好きだなあ。