畑尚子『大奥御用商人とその一族:道具商山田屋の家伝より』

 中小規模の商家による大奥関係者の御用商売を扱っている本。5月ごろに、『大江戸旗本春夏秋冬』に続いて読み終わったのだけど、読書ノートをサボっている間に、駆け込み状態に。「エゴ・ドキュメント」と言われる手紙や日記、回想録を利用している点では、共通したものを感じる。


 道具商山田屋の六代目黒田徳雅/狂歌師山田早苗が残した家譜「永久田家務本傳」を主な史料に、それなりに裕福な規模の商家の経営や大奥御用の商売の姿、商家の継承や女性の活躍の姿など、いろいろと印象深い。
 家斉時代、長期の将軍在位と多数の子女が産まれたことによって、奥女中の新規リクルートやその奥女中の購買品の需要が継続的に拡大。それによって、平民身分の農村上層や商家は、女子をさかんに下級の女中として送り込み、それを梃子に大奥御用の商売を拡大した。
 将軍やその家族の御用は、呉服を納入した三井家の越後屋や、お菓子御用の金沢丹後のような大きなところが独占するが、一方で、同僚や上司部下関係を通じた中小規模の商家による奥女中との商売も存在した。
 道具商山田屋は、このような奥女中に、漆器の調度品や家具などを納入して、相応の儲けを出していた。支払いが確実で、固い商売だったようだ。また、漆器の補修も行っていた。というよりは、中古品を購入して、塗り直して販売するのがメインだったようだ。溜塗や春慶塗は、自分のところの工房で行って、修理は腕利きの職人に外注と職人ネットワークがあったようだ。場合によっては、、一橋治斉に納めた硯箱や机のようなかなり高級な調度も作っていた。


 山田屋の展開を見ると、商家の経営の不安定さとか、世代継承の難しさも印象深い。女性も、奥女中奉公を経験してからの結婚で、晩婚化の傾向があるのか、産まれる子供が意外と少ない。結果、青梅山田屋のように、三代、跡取り娘(しかも、途中で養女)という継承が続く場合もある。
 山田屋は、四代知真が窃盗の共犯扱いで財産没収と所払いを受けて、妻の実家の青梅に青梅山田屋を立て、本家江戸山田屋は弟喜雅が継承。さらに、その息子が御家人株を買って武士化したため、青梅山田屋から徳雅を養子として継承。しかし、徳雅在世中に、息子も孫も亡くなって、青梅山田屋のほうに継がれることになる。また、知真の妻の実家、青梅の柳屋小林家も、徳雅の兄文右衛門が婿養子になるなど、密接な血縁関係を維持する。徳雅・文右衛門兄弟と妻のふさ・なか姉妹、いとこ同士で二重に結婚している密接さ。
 あと、商売の不安定性というか、業態の固定性のなさが印象的。江戸山田屋も、最初は道具屋をやっていたけど、途中から質屋株を取得して、むしろ質屋商売に軸足を置く。道具屋商売は、むしろ、五代喜雅の孫、くめのほうに継承させる。本家筋に戻す感じでもあるのかな。
 柳屋小林家に至っては、本家筋の破綻に引っ張られて資金がショート。織物の仲買の商売から、奥奉公の伝手を使って、青梅産の織物を奥女中らに販売する小売り方面に転換していく。
 ある意味、破綻もしやすいし、親族ネットワークの支援を受けて再起も割とあり得る世界だったのかな。
 江戸山田屋って、あんまり大きくないように見えて、100両単位の損失に普通に耐えられるし、お寺に数十両寄付する余裕のある商家だったんだよな。


 最後の「躍動する商家の女性たち」が印象深い。
 奥奉公の人脈で黒田家の危機を救った徳雅の祖母とよ。
 あちこちお世話しまくって、同時にそれだけ物入りで徳雅からは嫌われていた養母みの。ずいぶん、あちこちにいい顔をしたというか、外面を整えるというか、贅沢というか。それで、頭を押さえられると、そりゃ、徳雅は不満だろうなあ。
 みのの妹、ねんは一生、奥女中奉公を続けて、山田屋にいろいろな取引をもたらした。むしろ、供養のため奥女中の名跡を継ぐような慣行とか、疑似子孫みたいな枠組みが興味深い。
 柳屋の再興を果たした跡取り娘たみや、青梅山田屋を引き継いだます、らく、かつの女性三世代の活躍。
 徳雅の養母みの、柳屋のたみ、徳雅姉のますと妻かつの三組の上方旅行の話も興味深い。それぞれ、長期間あちこち、山田屋の人脈も使って回っている。たみの旅行は行き当たりばったりで、旅程が遅延しまくっているのも性格かねえ。同時に、奥奉公や商家の経営などで、女性も個人的に金を貯めることができ、40-50代の落ち着いたところで、3ヵ月の長期旅行を行う余裕があったと。