「活字離れ」をどうするか、東京都が考える:世界に通用する思考力と言語力を身につける人材の育成へ

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100424/223139/
 基本的に、「今の若者はなっとらん」という考えに都合のよい材料を寄せ集めているだけ。だから、それぞれの材料がばらばら。
 最初の東京都職員の読書状況については、新聞の地位低下や若いほど忙しい、余裕がないといった、外部状況との関連を考慮する必要がある。この切り出し方では、結局のところ若者けしからん論でしかない。
 3ページ目の話題は、論理性の問題というよりコミュニケーションの作法の違いだろう。これは、日本人に論理性があるないの問題ではない。
 4から5ページ目は、論理的読み方の教育の話だが、ここにいたっては、もはや活字離れとは関係ない。教育の技術的問題。むしろ、このあたりの問題は、高齢者でも変わりはない。日本の討論番組のレベルを見れば一目瞭然だろう。ここの議論は、カリキュラムの開発、教員の養成・研修、他の教科との調整といった、どちらかというと技術的な問題。

森ゆりか氏の講演会では、ドイツの国語教育事情を話していただいた。ドイツでは、説明・描写の技術、報告の技術、議事録の記述技術、要約の技術、絵やテクストの分析と解釈・批判の技術、論文の技術、議論の技術、ディベートの技術、プレゼンの技術を教える。

こういうのは、積極的に取り入れてもいいと思う。文学作品の特定の読みを、一方的に伝達する、現状の国語教育よりは有効だろう。


 この文章そのものが、論理性に欠けていて、現代日本の問題点を露呈しているのではないか。あと、「青少年健全育成条例」改定問題を推進する側が、どういう思想のもとに動いているのかをあらわしていて、その点からも興味深い。


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 しかし、週刊誌でどうやったら論理的思考が身につくのだろうか。あれこそ、悪感情を垂れ流す装置だろうに。