自転車産業振興協会編『自転車の一世紀:日本自転車産業史』

 日本の自転車利用と生産の通史。1973年刊行。この後、国内での完成車組み立てが減少し、中国台湾からの完成車輸入が激増する、構造変化が起きるが、本書はその時代の直前まで。


 幕末明治期に日本に導入され、貸し自転車などが断続的に現れる時代。1890-1900年代には、ヨーロッパでは技術が発展し現在のものに近いセーフティ型が現れ普及し、日本では郵便局などに導入され、上流階級の娯楽として拡散を始める。1910年代以降、一般の輸送手段として拡散を開始し、実用車が普及し始める。
 日本における自転車生産は、輸入車の補修や小規模な生産は比較的早いが、本格的な量産は明治36年前後あたりから、宮田製造所をはじめ古株の企業が出現する。私の興味は、アッセンブル産業として、幅広い裾野を持つ産業の形成なので、興味があるのはこの辺りから。その後も、基本的にはアメリカ・イギリス製の輸入車に押され続けるが、第一次世界大戦による供給途絶を代替する形で自立に成功する。ただし、この時代には品質ではイギリス製に及ばず、イギリスの輸出が復活すると苦戦を強いられる。
 戦前の全盛期は、昭和の10年あたりまで。国内でも800万台にいたり、輸出も機械輸出の首位を占めるなど、繁栄を極める。しかし、10年代に入り、戦時体制が確立してくると、自転車産業は原料の割り当てなどで冷遇され、また輸出の途絶、製造設備が戦災を受けるなど、沈滞を極める。この時代の当局の思考はわからんな。ガソリンを戦略物資として規制する以上、だいたい交通手段として自転車は有効なものであったと思うのだが。
 戦後は、混乱期から回復期、輸出の再開、実用車の減少と軽快車への転換という市場構造の変化が語られる。本書は、基本的には「団体史」の性格を持つので、競輪の収益からの交付金を利用した、自転車産業の「改善」や輸出への集団的な努力など、自転車産業振興協会とその前身組織の活動に紙幅が割かれる。


 本書は、上記のように、基本的には業界団体が編んだ、業界団体の視点からの歴史の書物である。そのため、当然のことながら、その視点からのバイアスがかかっている。戦前の全国購買組合連合会が「組合号」で参入してきたときの記述は、その好例であろう。また、問屋による生産や流通の支配、零細部品業者の実態といった、流通方面への目配りはほとんどない。基本、マクロなデータが主流。そのあたりは別の本で補う必要があろう。
 また、叙述の調子が一貫していないのも、欠点だろう。明治初期には自転車風俗史のようなスタイルだが、戦後では自転車産業団体史の性格が強く出る。結果として、関わりの深い競輪や自転車レースの記述が結構ある。自転車税をめぐる、廃止運動等はなかなか興味深い。資料のリストがついているのも、評価高し。


 ちょっと面白いのが、一番最後の展望的な部分。「文明の行き詰まりの中自転車の重要性が云々」的な話や環境重視、自転車道の整備などの話は、あまり現在の言説のトーンが変わっていない。90年代の資源安の時代を経験しているから、なんとなく誤解しているが、人間活動が地球の環境の限界を越えつつある状況というのは、1970年代、オイルショックあたりから変わっていないのだよな。ハルバースタムの『覇者の驕り』の出だしが、2000年代とそっくりだと思ったことと関連して。あと、自動車道の問題については、1970年代には、自転車と自動車の分離の必要性が指摘されつつ、40年も放置されてきたという事実。行政と政治と社会の怠慢に怒りが有頂天な感じですよ。