マルク・レビンソン『コンテナ物語:世界を変えたのは「箱」の発明だった』

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

 『ブラタモリ』で横浜のコンテナパースを扱っていたせいか、ふと目に着いた本。軽く読める本だろうと思って借りたら、意外と重い本だった。3日ほどかけて読了。
 海上コンテナ輸送の先駆者であるシーランド社とその創業者であるマルコム・マクリーンを軸に、コンテナリゼーションとそれがグローバリゼーションに与えた影響を描く。しかし、『スラムの惑星』を読んだ後では、無邪気に賞賛する気にはならないな…
 マクリーンの前半生は賭けが次々と的中し、コンテナリゼーションへの流れを作るのが、SL-7の建造計画あたりから、その神通力がなくなっていく様は、興味深いというか。日本でもこんな感じの人っているよなというか。確かに、マクリーンは規制を突破し、流れを作ったという点で、その功績は疑いもなく大きい。しかし、コンテナリゼーション全体は、むしろ自己組織的に発展した、多数のプレイヤーが関わった「制度」と見た方がいいのではないかと思う。石油ショックなどの、外的要因も大きく、マクリーンにしてもその部分で読みを外して、後半生は落ち目になっていくわけだし。在来方式の荷役が限界に達していたなど、時代に要請されていた側面は大きいのだろう。規格化された箱に入れて運ぶというアイデア自体は、それ以前からあったわけだし。あと、現状では伝統的な海運会社がほとんど生き残っていないというのはショックな話だよなあ。むしろ、マースクやエバーグリーンみたいに、時流に乗った会社が大きくなって、キュナードやP&Oなんかのイギリスのフラッグキャリアは見る影もなく没落している。日本郵船くらいのものなのではないだろうか、継続性が強い会社というのは。
 注が英語のままなのはちょっときつかった。まあ、バッサリと省略しましたとかよりも良いのだが。注を訳すのは、手間がかかりすぎるという判断だったのだろうな。

 1960年代の日本は世界最速のペースで成長を遂げていた。60-73年に工業生産高は四倍に増え、すでにアメリカにとって第二位の貿易相手国にのしあがっている。同国の工業は、60年代後半には早くも繊維や衣料品からトランジスタラジオ、ステレオ、自動車、機械へと移行していた。日本の産業界がコンテナ輸送に目を付けるのは当然である。66年には、海運造船合理化審議会が「コンテナ輸送の効果を最大化するためには過当競争を廃し国を挙げて導入に取り組むべきである」との答申を出し、政府はコンテナリゼーション推進をせかされた格好だった。答申ではコンテナ定期輸送を開始する目標年限として、日本-アメリカ西海岸は68年、東海岸・ヨーロッパ・オーストラリアとは70年が設定されている。まずは、東京・横浜とと大阪・神戸にコンテナターミナルを建設する。当面はコンテナ船の運航やターミナルオペレーションで外国船社とコンソーシアムを組むことが必要であろうが、日本船社の利益が損なわれないよう注意が必要である、云々。「計画通りに進めば、71年までに1000個のコンテナを運べる大型コンテナ船12隻が就航し、日本の輸出の半分はコンテナで運ばれるようになるだろう」と答申は結ばれていた。p.245

 日本のコンテナ化の端緒。

 コンテナが登場する前は、輸送というものは誰にとっても平等にカネがかかった。国際物流で最もコストがかかるのは荷役だが、これはどの荷主にとっても同じだった。ところがコンテナリゼーションが始まると、荷主によって輸送コストがちがってくるようになる。内陸国、輸送インフラが整っていない内陸部、経済規模が小さくコンテナ輸送に見合うだけの輸送需要を持たない国や地域は、混載貨物時代よりも厳しい状況に追い込まれた。ある調査によると、内陸国の輸送コストは海に面した国の1.5倍に達するという。また別の調査では、コンテナをボルチモアから南アフリカのダーバンに運ぶ運賃は2500ドルだが、ダーバンからレソトのマセルまで340キロをトレーラートラックで運ぶのに7500ドルかかるという。また2002年の世銀報告によれば、中国では内陸部から港まで運ぶ運賃が、港からアメリカまでの運賃の三倍かかるとされている。p.347

 ここでも不利なところはますます不利になる状況が。

 21世紀初めのコンテナ海運業界をみると、世界最大級と目される海運会社の多くは比較的参入が遅かったことに気づかされる。デンマークのマースクが最初のコンテナ船を建造したのは1973年で、アイデアルX号よりも17年遅い。北大西洋でコンテナ輸送サービスが開始されてからでさえ7年もたっている。スイスのメディテラニアンは70年まで存在すらしていなかったし、エバーグリーンにしても設立は68年である。こうした企業の特徴は、資金調達と情報技術に長けていることだ。古い体質の船会社が持ち合わせていない能力だが、コンテナ時代の船会社に求められるのは、海の知識よりも財務や経営の知識なのである。そうしたノウハウに長けた企業は、政府の補助金を必要とせず、したがって指導も受けない。自国船を使う義務もなければ、航路に口出しされるいわれもない。国旗をはためかせ国の威信を懸けて運航する船会社が多い中、彼らは徹頭徹尾インターナショナルだった。マースクの本社はデンマークにあるが、2005年までにイギリスのオーバーシーズ・コンテナーズ、南アフリカのマリン、オランダのネドロイド、そしてマルコム・マクリーンのあのシーランドを買収し、500隻のコンテナ船を保有するにいたっている。同社の世界シェアは17%近い。p.353

 海運会社の浮沈。

 市場も国も何度もまちがいを犯し、民生部門も政府部門も何度も判断を誤った。そのたびにコンテナリゼーションは足を引っ張られ、世界経済になかなか貢献することができなかった。だが、最後は「貨物を箱に入れて運ぶ」メリットと劇的なコスト削減効果が威力を発揮し、コンテナリゼーションは世界を席巻するにいたる。アイデアルX号の処女航海から半世紀たった2005年には、三億TEUのコンテナが世界の海を行き交うようになった(その4分の1以上が中国から積み出されている』。海だけではない。数えきれないほどのコンテナが国境を越えてトラックや鉄道で運ばれている。p.355



 関連:
JR貨物の概要
トリオグル−プ(Hapag-Lloyd)
海運会社の一覧Wikipedia