おそろしく実体がない

d.hatena.ne.jp
 激しく同意。
 現在、実際にメニューに上がっている「地域主権」の政策は、まったく地域主権の名に値しない。「平成の大合併」が自治体の自発的なものではなく、中央政府の都合、地方への資金の投入を絞る意図によってなされたものであった。だいたい、八代市のような無暗に広い自治体が、正常とは言い難い。
 また、「道州制」にしても、都道府県を廃止して、自治体の数を減らして資金を節約したいという意図しか見えない。経団連道州制を支持するあたりに、底意は見え透いている。しかし、九州一つとっても、その視線の向いている方向はずいぶん違う。そのあたりを無視して、地図上での数合わせに終始している。また、都道府県を廃止して、行政や住民の代表の問題はどうなるのか、疑念は尽きない。アメリカの州にしても、日本の都道府県よりも規模の小さいものがいくらでもある→http://www.tt.em-net.ne.jp/~taihaku/geography/population/statepop1900-2000.html
 結局のところ、「中央の都合」によって進められている。形式の議論ばかり進んで、財源の問題はないがしろにされている。東京が実際の経済力以上の法人税を集めている問題などが、その好例だろう。また、明治以後、150年にわたって東京などの一部地域に傾斜的に投資されてきた、その不平等をどう是正するのか。地域主権を現実のものにしようとするなら、その点も問題になるだろう。
 この観点から、理念としての「地域主権」には賛同するが、現在進められている政策としての「地域主権」には不信感しか感じないし、とても賛同できるものではない。

今の「地域主権」論が最低なのは、こういう問題を全く考えることなく、地方分権が地域間の「生存競争」であることをあけすけに肯定していることにある。「生存競争」というのは、競争に勝つためには政府の公共事業でも東京資本のショッピングモールでも、何でも受け入れるしかないという態度を助長するだけで、それは、そうした生存の恐怖から自由なところで、自分の地域をいかに主体的にデザインしていくかという、本来の「地域主権」の理念に反するものである。

 いや、全くその通り。