東広島市小田地区 : 危機に追い込まれた住人は立ち上がった:日経ビジネスオンライン

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 逆に言うと、「基礎自治体」を目指しす町村合併や農協といった、既存の制度が地域のニーズとまったく乖離してしまっているということを示しているのだよな。120年ぶりに役場の復活ということは、明治までの大字クラスの組織が、地域の活動を担う組織として非常に重要であると。現在、中央で行われている「地方自治」の議論がいかに中身のないものかを暴露してしまっている。かなずしも、スケールメリットが解ではない。
 しかし、この小田地区の取り組みは本当に興味深い。まず、小学校の廃止の衝撃をうけて地域自治組織の設立の模索。で、そこの調査で農業の持続性が危険な状況にあったために、集落営農組織の立ち上げ。集落営農のプロが居たという幸運はあるにしても、地域をどうするかの観点から、企画されている。

 道路の舗装も一気に進んだ。小田地区を走る県道には歩道がなく、PTAを中心に、行政に歩道整備を繰り返し訴えていた。ただ、一向に話が進まず、関係者の誰もが諦めていた。ところが、共和の郷・おだを立ち上げた後、改めて地方自治体に提案したところ、事業化が認められた。

 小田城趾の整備もそうだ。小田地区を見下ろす小高い丘には、730年ほど前に築かれた小田城の跡が残されている。荒れるに任せていたが、地域づくりの一環として小田城趾の公園整備を計画。事業化に伴って3年前に整備された。

 行政は1人の意見ではなかなか動かないが、地域全体が合意している意見には耳を傾けるもの。地域の声をまとめ、行政に伝える機関として共和の郷・おだは想像以上の役割を果たしていると言えるだろう。

 説明は1つの集落当たり最低2回。2回目は女性や若者の参加を促した。「女性が出るとすぐに決まる」。そう吉弘が笑うように、兼業農家が多い小田地区では、実際の農作業を支えているのは女性だ。その女性が腑に落ちることが何よりも大切。吉弘はそう考えたためだ。

 その後の成功は前述したとおり。左うちわでは決してないが、今の厳しい環境で黒字を確保している。耕作放棄地もなくなり、農村の風景は守られた。ファームおだが農協機能を兼ねることで、加工品の開発も加速。何より、地域での雇用が生まれつつある。人口が減少し始めた今、少しでも外部の人間が流入できる環境を築くことは、地域や集落の存続に大きな意味を持つ。

 このあたりも興味深い。