小麦戦略でお米が衰退したのか【前編】 - とらねこ日誌

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小麦戦略でお米が衰退したのか【後編】その1 - とらねこ日誌
小麦戦略でお米が衰退したのか【後編】その2 - とらねこ日誌
 アメリカの小麦輸出戦略でパンが定着し、米食が衰退したという議論をデータから検証している。「国民栄養調査」のデータからは、穀物からのエネルギー摂取、米からのエネルギー摂取は減少しているが、穀物エネルギー全体における米の割合は下がっていないこと。むしろ、小麦は大麦の需要を食ったのではないかと指摘する。
 後編は日本の食生活の変化。「アメリカの小麦戦略」の手段となった給食とキッチンカーがどのような影響を与えたか。給食はパン好きを増やしたか。確かに私の父は戦後の給食を食べているが、いまだにコッペパンと牛乳を嫌っているなあ。また、キッチンカーについても、アメリカの小麦の売り込みの意図を、日本側がうまく利用した形であることを指摘する。現在言われる「日本型食生活」がおかず普及運動などによって形成された、比較的歴史が浅いものであるを指摘する。1960年代以降に形成され、1980年代に定式化されたものだという。
 戦後日本の食生活の変化に関する非常に興味深い。既存の文化に、新たな要素を取り入れる形で、よい形の食文化を形成したと言えるのだろう。
 ただ、この議論ではいくつか抜けているのではないかと思う。コメントでも指摘されているが、生鮮食料品の供給、すなわちおかずの充実には、コールドチェーンの充実が重要な要素なのではないだろうかということ。これがなければ、肉や魚といった足が早いものは、安定的に供給できなかったのではなかろうか。
 また、本論とは矛盾しないが、アメリカの存在が日に影に影響を与えてきたことそのものは、否定できないのではなかろうか。日本側がうまく利用した形になったとは言え、キッチンカーや食糧援助が、日本における小麦の消費拡大を狙ったものであることには変わりないし、80年代の貿易摩擦と牛肉の輸入自由化が、日本の食生活に与えた影響も、もっと考慮すべきではなかろうか。アメリカ側に一貫した戦略があったと考えるのは、あまりの単純化しすぎであるということには同意できる。その見方は陰謀論に足を突っ込んだ形になっていることは確かだろう。


 後編その一の以下の記述も興味深い。

農林省はパンを農家の福祉のために勧めました。戦後まもなくの食生活は現在よりも極端に偏っていました。特に農村部は大量の穀類とわずかな種類の野菜だけを食べる「ばっかり食」で病気になる人が大勢いました。

 日本の津々浦々にコメ食が普及したのは、戦時中の配給制度によってだそうだ。旧来、雑穀でばっかり食を食べていた延長線上で、コメ食に転換した結果、逆に栄養状態が悪化した可能性があるのではないだろうか。これは近世の話だが、イタリアの山地あたりでは、旧来の麦に変わって、トウモロコシが普及した結果、ベラクラが増大したという。同じようなことが起きたのではないだろうか。
 そもそも、前近代の伝統的な食生活というのは、日本にしろ、ヨーロッパにしろ、他のどの地域にしろ、ごく限られた種類の穀物から成る「主食」とそれに彩りを添える「薬味」から成る(シドニー・W・ミンツ『甘さと権力』asin:4582408028p.48-56)、非常に単調な食生活だったと言ってよい。例えば、日本では雑穀を混ぜたかて飯とその季節に採れた野菜を中心にする汁、それに漬物程度。ヨーロッパでも、パンや粥にスープといった具合。簡単に手に入る書物から得られる例としては、山本紀夫『ジャガイモのきた道』asin:4004311349の160ページから164ページでアンデス山中の先住民の食生活を紹介しているが、まさにジャガイモばっかり。そもそも、栄養バランスを考えて食生活を組みたてられるようになったこと自体がごく最近のことで、それ以前のことを現在の尺度で考えること自体が間違いのもとだと思う。


参考文献
 これから読むものも含めて、関連文献。読んだ本も、ずいぶん前に読んだきりだから、だいぶ忘れているなあ。
木村茂光『ハタケと日本人:もう一つの農耕文化』

ハタケと日本人―もう一つの農耕文化 (中公新書)

ハタケと日本人―もう一つの農耕文化 (中公新書)

木村茂光編『雑穀:畑作農耕論の地平』
雑穀―畑作農耕論の地平 (ものから見る日本史)

雑穀―畑作農耕論の地平 (ものから見る日本史)

木村茂光編『雑穀2:粉食文化論の可能性』
雑穀〈2〉粉食文化論の可能性 (“もの”からみる日本史)

雑穀〈2〉粉食文化論の可能性 (“もの”からみる日本史)

大豆生田稔『お米と食の近代史』
お米と食の近代史 (歴史文化ライブラリー)

お米と食の近代史 (歴史文化ライブラリー)

南直人『ヨーロッパの舌はどう変わったか:十九世紀食卓革命』