アンナ・パヴォード『チューリップ:ヨーロッパを狂わせた花の歴史』

チューリップ―ヨーロッパを狂わせた花の歴史

チューリップ―ヨーロッパを狂わせた花の歴史

 熱と頭痛のなかで読んだので、実はあんまり内容を把握できていないような気がする。
 チューリップ栽培の歴史をまとめた本。トルコでのチューリップ園芸文化の繁栄、ヨーロッパへの移入、イギリスでの栽培の流れ、オランダでのチューリップ狂、オランダのチューリップ種苗貿易での優位、イギリスの「フロリスト」たちの動き、近年のオランダにおける産業的な生産と一本単位での鑑賞から多数を植えての利用への変化などの19世紀以降の変化、とチューリップ栽培の歴史を網羅している。
 著者がドイツ語ができるか、フランス語ができるかで、話がどちらかに偏ることが多いが、参考文献を見ると本書の著者はドイツ語・オランダ語はできるが、フランス語はあまり堪能でない様子。そのせいもあるのか、フランスの位置が不明確な感じが。初期にはチューリップ文化で重要な貢献をしていると指摘されている割には、全体の流れの中での位置が見えにくい感じが。消費者としての重要性は大きかったのではなかろうかとも思えるのだが。あと、著者の母国がイギリスであるための、まあ当然の偏りではあるのだが、イギリスの事情が大きく扱われている結果、ヨーロッパ全体の流れがわかりにくくなっているようにも思う。まあ、「純粋」な花を競い合ったイギリスの「フロリスト」たちってのは、存在そのものも、あるいは江戸時代日本の品評会文化との類似性という観点でも、興味深い存在なのだが。
 第一章のオスマン・トルコで花開いたチューリップ文化の話も興味深い。日本やヨーロッパ以外の、園芸文化が詳しく紹介される機会事態があまりないように感じるので。やはり、技術と情熱が相当注ぎ込まれたようだ。現在は、ほとんどが伝わっていないというのが残念な話だが。
 そう言えば、14-5世紀から付き合いがあったにもかかわらず、チューリップの移入に関して、イタリア人の存在感が薄いのも気になるな。少なくとも知識人コミュニティには、16世紀の半ば以降に、オーストリアの外交官を通じて移入されたと考えていいようだが、この時点で、コンスタンティノープルの陥落から一世紀は経っているんだよな。もっと早くてもよかったんじゃねって感じがするのだが。そのあたり、外来植物への興味のあり方の変化とか、時代精神の影響があるのだろうか。「ブンダーカンマー」なんかとつなげて考えることができそう。

 ベロン(1517-1564)は一五四〇年にルマン近郊のツーヴォアで庭作りを始めた。彼の後援者、ルマンの司祭、ルネ・ド・ベレイの援助で、外国の樹木や灌木を収集した。それらの中にはレバノン産のスギやフランスでは初めてのタバコがあった。彼の目的はフランス人の園芸家が手に入れられる植物を増やすことだった。その目的のために、彼は一五六四年にレヴァント地方に出かけ、それから三年間その地域を旅して植物を収集した。p.32

 こういう植物を「収集」するという行為がいつから始まったのか。後にはプラントハンターが大活躍するわけだが。