「西南の役激戦地跡」碑

 1990年代に建てられた比較的新しい石碑。旧段山トンネル南側出入り口脇に建っている。形が個性的。この周辺の地域は、戦後随分地形改変が進んで、旧状をとどめていないが、法華坂が激戦地だったことは確かだしな。




石碑本体

西南の役激戦地跡
 熊本市長田尻靖幹書



石碑左説明碑

 西南の役は日本最後の内戦
であって それを最後として
日本内部での戦火は消えた。
 役は熊本城の攻防を緒戦と
して明治十年(一八七七)二月に起
こった。攻めたのは西郷隆盛
が率いる薩摩の旧士族二万三
千人であり、守ったのは司令
谷干城が指揮する鎮台兵三
千八百十五人であった。
 攻防三ヶ月、海路陸路から
する増援軍の投入によりて薩
軍は熊本城の包囲を釈き退却
帰薩、城山で完敗、西南の役
は終焉したが、緒戦の場が熊
本城であったため熊本城とそ
の周辺、熊本城下はいずこも
激戦地となった。熊本市の至
るところは戦火の影を帯び戦
塵の香を纏ったといえる。
そこに住みそこで生活をする
者は何人もそれを忘れてはな
らない。激戦地跡の碑が市街
地の中に建てられている所以
である。


  平成五年九月建立
    熊本市長 田尻靖幹
         岩下雄二撰
         手島久草書