宮田珠己『晴れた日には巨大仏を見に』

晴れた日は巨大仏を見に

晴れた日は巨大仏を見に

晴れた日は巨大仏を見に (幻冬舎文庫)

晴れた日は巨大仏を見に (幻冬舎文庫)

 40メートル以上の身長の大仏を、全国見て歩いた紀行。なんというか、バブル期に金満な地方の金持ちがおったてた、安っぽさがすごいな。淡路島の世界平和大観音なんか、あちこちに借金のかたとしてわたった挙句、廃墟と化しているしな。すでに本書が出た時点で、レジャーランドの添え物として作られた巨大仏は、だいぶ経営が苦しい感じが出ているし。そのあたりの底の浅さが、景観の中の違和感になっていて、好事家を楽しませているのだろうな。しかしまあ、並べてみると、最初の牛久大仏は、まだ作りが丁寧なほうだよなとしか。つーか、最初の牛久大仏が迫力がありすぎて、後のがしょぼい感じしかしねえ。
 あと、微妙に地元に認知されている感がある高崎白衣大観音もおもしろいな。1936年に地元の実業家によって立てられた、40メートル超級では最古のものなのだそうだが、いつの間にか微妙な初詣スポット程度にはなっているようで。時間の経過というのは重要なのだな。あと、曲がりなりにも、寺の中にあるというのも重要なのだろう。
 随所で語られる景観論的な話も興味深いな。紹介されている本はメモ。


 以下、メモ:

 近づくにつれ、愉快さと同時に、不気味な味わいも、高まってきた。それはお化けとか幽霊の怖さみたいなものとはちがって、もっと超自然的な感じというか、ちょっと不安な手触りである。愉快なんだか不気味なんだか、どっちかはっきりしてほしいもんだが、この、周囲の風景に応じてさまざまな表情を見せるところがまた、巨大仏ならではの特徴なのだ、お堂の中の仏像ではこうはいかない。巨大仏と一般の仏像とのちがいは、単に大きさの違いだけでなく、風景とセットで見えるという点にあるのである。p.22

 崇高の美とか、そういう話なのかね。

 一般に、巨大仏とその立っている場所とのつながりは、とても薄い。これは、どの巨大仏でもそうである。そんなものがそこにある歴史的な理由というか必然性はまったくないのだ。
 これまでに見てきた牛久の大仏も淡路島の大観音も北海道大観音も、それがそこにあるべき理由は何もなかった。理由があるとすれば、作り手がそこに土地を持っていたとか、開発に必要な十分な面積をそこで入手できたとか、あるいはもともとあったレジャー施設に後から巨大仏をつくったというようなことでしかなく、この、場所とのつながりが希薄なところが、実は巨大仏の大きな特徴である。人が巨大仏をうさんくさく感じてしまうのは、そのあたりにも原因がある気がする。p.86

 最後に、ここでひとつの現実として記憶にとどめておいたほうがいいと思うことがある。それは、昭和六十二年の会津慈母大観音以来、この小豆島大観音までのたった九年間に、日本中で十体もの巨大仏がいっせいに登場したということである。それ以前には五十年近くかけてようやく六体かできていなかったというのに、ちょうど昭和の終わりから平成にかけて爆発的に巨大仏が増殖した。p.280

 まさにバブルの産物なんだな。


 文献メモ:
『ぬっとあったものと、ぬっとあるもの:近代ニッポンの遺跡』ポーラ文化研究所、1998
都築響一『珍日本紀行』アスペクト、1996
いとうせいこうみうらじゅん『見仏記』中央公論社、1993
大竹伸朗『既にそこにあるもの』新潮社、1999
中川理『偽装するニッポン:公共施設のディズニーランダゼイション』彰国社、1996
阿部一『日本空間の誕生:コスモロジー・風景・他界観』せりか書房、1995