依田徹『盆栽の誕生』

盆栽の誕生

盆栽の誕生

 タイトルの如く、盆栽がどのように誕生したかを描く。近世以前に存在した盆石や鉢植などの趣味を、近代に入って読み替えたものであること。近世以前から伝えられる木も、近代の盆栽の美意識によって作りかえられているという。また、「伝統」が「創造」される過程。
 古来、鉢木や盆山など、鉢に植物を植えたり、石を盆において飾る風俗は存在した。江戸時代にも、鉢木は盛行し、徳川将軍家でも盛んに栽培された。しかし、そこに表される美意識は、「蛸作り」に代表されるように、非常に技巧的で、植物を人為に従わせるものであった。このあたりの美意識は、江戸時代に発達した、変わり朝顔とつながるものがあるのかな。
 現在につながる盆栽は、煎茶や文人の中国趣味の中から出現したこと。明治維新によって、京都や大阪の文化が江戸に流入し、江戸の趣味が塗り替えられた側面が強いように感じる。また、近代にはいり出現した「自然主義」の思潮につながるものと指摘する。また、盆栽は皇室、華族、財閥経済人などに受け入れられ、上流階層の趣味として広がったこと。しかし、生きている植物を相手にする以上、行っていた人物が盆栽をやめたり、死亡して受け継ぐ人がいなかった場合、売り立て散逸し、受け継がれなかったことで、近代盆栽愛好家は広く知られずに忘れ去られていったという。
 また、盆栽は中国趣味を基盤とした盆栽だったが、明治後半以降、「日本文化」の再評価の機運の中で、茶や生け花の作法を摂取し、「伝統的」な体裁を整えていった、新しい文化であるという指摘も興味深い。作られた伝統。盆栽文化は、二度の改編を経て、現在の形に到ったと。


 江戸時代に「盆栽」が存在しなかったというのは、中野三敏『和本のすすめ』で、江戸の刊本に盆栽のタイトルがついた本がないという指摘からも裏付けられるな。


 以下、メモ:

 そもそも「盆栽」という言葉は、その登場が遅い。古くから使われていたのは「盆山」や「鉢木」、「作りの松」といった名前である。江戸時代の園芸書には、「盆栽」に「はちうえ」というふり仮名が付けられている例さえある。これを音読みに変えた「ぼんさい」という呼び方は、およそ明治時代に入ってから定着したのである。
 そして私がこの本を通じて述べたいのは、江戸時代と現代とでは、盆栽の作り方から美意識まで、大きく異なっていたという事実である。江戸時代にさかのぼる古い盆栽も残っているが、それらは現在の「盆栽」の美意識で改作されている。では江戸時代の盆栽(鉢木)は、どんな樹形をしていたのか、どんな鉢に植えられていたのかは、わずかな文献や絵画から探るしかないのである。
 このような変化は、ひとり盆栽のみの話ではない。今日にのこされている日本の「伝統文化」、たとえば茶の湯や生け花なども、明治維新以降に大きく変貌を遂げている。ただ盆栽には、中国趣味として発達していたなど、特殊な事情もあった。盆栽という世界ならではの、独自の近代化の道筋があったのである。
 我々がふだん何気なく使っている「伝統」とは何か、そのような疑問を頭の片隅におきながら、盆栽の歴史にお付き合い願いたい。p.7

 ここに、すべて言い尽くされている感が。江戸時代と現在の「盆栽」はまったく違うものに変貌を遂げていると。

 隆子夫人が最後に述べているように、樹木は年月によって形が変わってしまう。江戸城にあった鉢木の姿を調べようとしても、この『井関隆子日記』の他、確かな資料はほとんどないというのが実情である。そして問題はそれのみではなく、明治以降に新しい盆栽のスタイルが登場することで、江戸の鉢木もその流行に合わせて作りかえられてしまったのである。現在、徳川将軍家旧蔵という盆栽がいくつか伝わっているが、これらも当時の姿をとどめてはいない。p.48

 盆栽の変貌。

「木守」「不二」「大黒」と、楽茶碗を代表する名品を所持していた人物たちが、盆栽・盆景に熱中していた。これは筆者からすると、なぜお茶をやらないのかと不思議でならない。しかし明治維新以降、武家社会が崩壊した後は、儀礼としての茶の湯の権威は失墜していた。封建的な価値観は一度、リセットされたのである。こうして明治期には、自由な価値観の下で、競馬やゴルフなど、新しい趣味も育っていた。このように見ると、盆栽は茶の湯のような封建制度を引きずらない、近代的な趣味だったとさえいえるのである。p.126-7

 近代的な趣味ってのはおもしろいな。価値体系のリセットと権威の体系の変換の中で、盆栽は旧秩序のほうにはなかったと。まあ、ここで紹介される趣味が、「自由」の下に育ったのかというと怪しいような。競馬は、軍馬の改良という国策によって正当化されたわけだし。


 文献メモ:
『植木屋のある風景:〈園芸都市〉の地域をさぐる』豊島区郷土資料館、1993
成田涼子「「植木屋」出土の「植木鉢」:鉢物生産の器」『都市江戸のやきもの』江戸遺跡研究会、2010
平野恵「明治後期における植木屋の階層:縁日植木屋と高等植木屋」『さいたま市大宮盆栽美術館年報・紀要』1号、2011