片山一道『骨が語る日本人の歴史』

骨が語る日本人の歴史 (ちくま新書)

骨が語る日本人の歴史 (ちくま新書)

 古人骨の分析から見た、通史。DNAの分析なんかで、縄文人朝鮮半島オホーツク海経由で入ってきた可能性が高いとか、弥生時代の渡来人は少数であったという指摘はよく目にするが、そのような遺体から見た歴史がまとまっていておもしろい。一方で、「史観」を押し出している二部の6-7章は微妙。骨という、一つの切り口で歴史を論じるのは、やはり無理があるのではないだろうか。正直、歴史教育に関連するところは、難癖としか思えない。
 あと、才槌頭とか、反っ歯とか、その辺りの説明が欲しかったところ。


 全体の三分の二ほどを占めるのは、旧石器時代からの人骨分析の話。
 旧石器時代には、沖縄の港川人以外に分析に足る人骨は存在しないこと。港川人は、むしろ東南アジアに分布していたグループに近いこと。沖縄の島嶼と九州の間の海を越えられず、日本列島には影響しなかったのではないかという。続いては、縄文人貝塚という保護装置を得て、多数の人骨が発掘されているという。背が低く、骨太で、エラがはって、彫りが深い、独特の容貌を持つ人々だったという。興味深いのは、日本全国で顔立ちや体系が一定していて、地域差や時代差が見られないという。つまり、日本全国で、地域差が出ない程度に人的交流があったってことか。まあ、20万くらいの人口規模だと、それほど多数の人が動く必要はなかっただろうけど。
 弥生時代に入ると、状況が変化する。地域差や時代差が顕著になり、共通の特徴がなくなる。「弥生人」とは、弥生時代に日本列島にいた人々程度の意味しかなくなる。九州北部から瀬戸内海西部には、細面の渡来系の人々が多数検出される一方で、九州の西部や南部、関西以東といった地域では、縄文人の形質を持った人々が存続し続けたという。また、弥生時代になると、戦争で死亡したとおぼしき人骨が多数発見されるようになる。「倭国大乱」か。
 古墳時代に入ると、さらに形質の変化が進む。近世まで続く日本人の姿が、ここで形成されていく。階層差が顕著に出てくるというのも興味深い。関西の大型前方古円墳の被葬者は、圧倒的に長身で、中流以下レベルの人間と10センチ以上の差があるという。栄養状態の差か、そういう血筋なのか。庶民の墓から出土する人骨では、骨太さの減少や歯のかみ合わせの変化など、後につながる変化がおき、「倭人」の時代と本書では表現している。
 ラストは、律令制時代以降を「中世」、さらに近世、近現代へと続く。奈良・平安あたりの時代が古人骨的には暗黒時代だとか、鎌倉の幕府滅亡時の戦死者遺体とか、伏見のお墓から発掘された人骨の分析の成果とか。大体、この時期には一貫した「日本人」的特徴が見られるそうな。伏見の人骨からは、背が低く、一方で寸胴で、体重の推定が大きくなるというのも興味深い。出産で健康を害す事例が多く、女性の寿命が顕著に短かったこと、白粉の鉛汚染が時代を追うにつれてひどくなっていくこと。動物性タンパク質の摂取に男女差が大きく、女性が顕著に少ないというのもアレだな。一方で、ポイントごとの紹介で、「中世」の階層差・地域差が、本書では見えてこないのが残念。
 戦後、高度成長期に入ると、一気に、骨格パターンが変化する。地域性や階層差が消え、個人差が大きくなる。また、身長が伸び、脚が伸び、容貌が変化する。生活環境の変化で、一気に変わるというのが興味深いな。


 第二部は、全体の概括。基本的には、一部の繰り返し。アイヌや沖縄の人々を扱ったところが興味深い。アイヌ人が、独自の形質を持つのに対し、沖縄の人々は中世以降に九州からの人口の流入で、「日本人」と形質的には差がないという。沖縄に関しては、中国からの人口流入はどの程度の影響があったのだろうか。
 第八章は、歴史教育や「史観」の話だが、正直、たいしておもしろくもないな。世界史におけるアフリカや植民地化以前のアメリカ大陸、オセアニアの扱いが不当に小さいというのは、確かだけど、実際にそれを歴史教科書に反映させようとすると、ネタが足りないとか、書ける人がいないとか、「世界史」というストーリーにどう位置づけるが難しいとか、問題が噴出しそう。まあ、現在の「世界史」が西洋の発展史観と中国の「正史」を強引にくっつけた歪な構造を克服できていないというのがあるけど、じゃあそれに変わるストーリーの創出は難しいよなあ。
 人骨や井上章一の著作を引いて、日本に「古代」がなかったという指摘。そもそも、古代・中世・近代というわけ方が便宜的なもので、固定的なものではない。しかし、歴史を区分する時に、三分割というのは、人間の認識として都合が良いというところを押さえていないと、頓珍漢になると思う。そもそも、ヨーロッパで出来上がった古代・中世・近代というのは、アジア圏では座りが悪くて、中国への適用でも、昔から論争が起きまくっている。また、本家本元のヨーロッパでも、Eary Modern(近世)というのが、独立の時代として扱われるようになってきているし、古代と中世の境目も、「後期古代」として境目が曖昧になってきている。そういう状況を踏まえて議論すべきだろう。


 以下、メモ:

 縄文人の歯に関して、もっとも注目すべきは、なんと言っても、抜歯と研歯の風習だろう。わざわざ健常な前歯を何本も抜き、ときには石器かなにかで研磨加工し、派手な刻みを入れているのだから、ともかく目立つことこのうえない。なんとも不気味な風習である。
 かつては抜歯の慣行は、世界の各地で、さほど珍しくはなかった。身体加工(あるいは身体毀損)風習のなかでは、もっともポピュラーであり、多くの民族が勤しんでいた。中国や台湾、東南アジア、オーストラリアやニューギニアメラネシアハワイ諸島などの古人骨でも、しばしば目にする。このように環太平洋の一帯で、かつては広汎に流行した習俗である。研歯のほうが珍しいが、それでも私自身、マヤ人やフィリピンの古人骨などで観察したことがある。でも、抜歯と研歯とがセットでそろい、しかも誰も彼もが派手に抜歯を施していた点で、縄文人は、世界でも特異な例だろう。p.66-7

 研歯って。わざわざ、切れ目入れるのか。痛そう。しかも、当時は麻酔もなかったんだよな…

 ことに東海地方の縄文人については、日下宗一郎(京都大学)の研究により、吉胡貝塚や稲荷山貝塚などの人骨で詳しい分析がなされている。その結果、食性において、大きな個人差があったことが発見されている。つまり海産魚介類に強く依存する食生活を送る者がいる一方で、植物資源や草食獣に依存度が高い者がいた。また、一般に男性のほうでバラツキが大きく、海産物を摂取する割合が高い多数派と、その逆に植物や草食獣の割合が高い少数派とに分かれていた。あるいはすでに、漁撈活動に従事する者と狩猟などに従事する者とに、ある種の分業化のようなものが生まれていたことを物語る証拠となるかもしれない。まことに興味深い研究成果ではある。p.73

 同じ土地に住む者で、依存する資源が全然違うというのは興味深いな。文化や居住地に違いが生まれそうなものだけど。

 縄文時代は一万年の長きにわたったにもかかわらず、だいたいのところ、縄文人骨の顔立ちや体形は一定しており、あまりに大きな時期差や地域差は認められない。しかるに弥生時代は七〇〇年ほどと短いが、その遺跡で出る人骨は、けっこう多様であり、地域差や時期差が無視できない。一括りに扱えば、いささか乱暴にすぎて、地域差などの身体現象の問題を詳細に論じるのが困難になる。p.88

 縄文人に顔立ちや体形で、地域差や時期差が見られないというのは、興味深いな。それだけ、広域の移動などが想定されると。

 いずれにしても、倭人の時代の後半、古墳時代になると、死者を埋葬する墓における階層化が目を見張るべきものとなる、それにともない被葬者の間で身体特徴の違いが見られるようになる。いちばんわかりやすい身長で比較すると、大型古墳の被葬者は一般に高身長で、ときに一七〇センチ近くに及ぶ被葬者がいたようだ。この時代にしては、まことに高身長。まるで、ガリヴァーの巨人国に住む人たちのようであったに違いない。p.120

 やはり、栄養状態の違いが大きかったのかね。ヨーロッパにしても、日本にしても、つい半世紀ほど前まで、庶民層とエリート層では、顕著な体格差があったそうだが。

 コラーゲン蛋白がよく残る約三〇人分の人骨を分析した。その結果、以下のような事柄が明らかになった。まずは、C3植物(米、および菜っ葉もの植物)と淡水産か海産かの魚介類が主要な蛋白資源となっていたこと、蛋白資源に占める陸上動物の割合が小さかったこと、当時の農村部と違い、粟・ひえ・きびなどの雑穀類を多くは食していなかったこと、男性のほうが女性よりも魚介類を多く摂取していたこと、などなどである。また、この分析の副産物として、赤ん坊の乳離れが遅く、二〜三歳ほどの離乳年齢であったことが推測できた。p.147

 男女の差別構造。都市部は、やはり米メインだったのな。あと、乳離れの年齢がすごい。

 実のところ、「民族」とは、それに属するとする人たちのアイデンティティの問題なのである。つまりは、一人ひとりの意識の問題なのである。また「人種」とは、万世一系の固有のグループなどではなく、とにかく、陽炎のごとき人間の擬集合体を言い表す方便のようなものである。たんなる平均値で括るだけの寄せ集めのような概念装置なのである。p.242

 人骨研究は、特にそのあたりに慎重になるよな。人種差別の理論的支柱だった時期が長いわけだし。