新見志郎『水中兵器:誕生間もない機雷、魚雷、水雷艇、潜水艦への一考察』

 再読。
 19世紀初頭に出現した機雷。大型艦を低コストで撃破できる兵器として注目されるが、それを攻撃的に使用できるようになるまでの試行錯誤。有名記事に「魚雷は大人になってから」ってのがあるけど、それにならえば、この本は「思春期」あたりまでだろうか。
 機雷は、早い段階から防御兵器としては機能し、南北戦争では装甲艦を撃沈し、普仏戦争では圧倒的なフランス艦隊のキール攻撃を阻んでいる。
 しかし、それを攻撃兵器として運用できるようになるには、30年以上の試行錯誤があった。最初はヤケクソ特攻以外の形容を思いつかない棒の先に機雷をつけたスパー・トーピードによる攻撃。底引網のオッター・ボードを利用した曳航魚雷。そして、自力で推進する魚雷の登場。しかし、初期の魚雷は、射程も短く、まっすぐ進むことも難しい代物であった。まっすぐ進まないなら、操縦すればいいじゃないということで、有象無象の誘導魚雷が制作される。しかし、操縦するには、操縦する人間が水上からどこに魚雷があるか認識できなければならない。水上に目印を出す必要がある。結局、水中兵器の利点を自ら放棄することになる。最終的には、ジャイロの搭載や熱走魚雷による速度と射程の延長といった改良が行なわれ、20世紀に入るころに実用的な兵器となっていく。
 その後は、魚雷を投射するビークルの開発の歴史。水雷艇水雷巡洋艦。そして、魚雷艇が大規模に運用され、大型艦を撃沈した、日清戦争時の威海営襲撃にページが割かれる。
 そして、さらに脅威になった潜水艦の開発史。1900年前後の20年程度で要素技術が開発されていく。水上航行で使うディーゼル機関と水中で使う電動推進という要素が揃うまで。第一次世界大戦の時の潜水艦ってのは、とても成熟した存在とは言いがたかったのだな。そして、その段階だったからこそ、対抗手段もなく、大活躍が可能だった。
 随所に実際の戦闘や実艦の紹介をはさみながら、ヨチヨチ歩きを始めた19世紀から20世紀初頭の水中兵器の姿を追っている。