有賀夏紀他編『アメリカ史研究入門』

アメリカ史研究入門

アメリカ史研究入門

 なんか、読むのにものすごく時間がかかったな。都合2ヶ月かかって、このメモを書き始めるのに、また1-2週間かかっている。したがって、かなり内容を忘れている。というか、研究入門だから、手元において、集める文献をチェックするための本だからなあ。
 前半は通史を時代ごとに、後半はテーマ別に、2008年までの研究を紹介するスタイルの本。ここに上げられている書物をまず読んでいくべきと。
 しかし、こう、知ってるつもりで、アメリカ史のディテールを全然知らなかったのだなあと。断片的な知識ばかりで、あちこち穴だらけと。


 第一章の植民地時代が個人的には興味深いな。「大西洋史」という考え方で、いろいろな研究がまとまりつつあると。ただ、「大西洋」をメインに据えると、北アメリカは、18世紀まで脇役なんじゃなかろうか。
 基本的には、やはり古い時代に興味を持つな。


 後半のテーマ別では、第6章の環境の歴史と第7章の軍事史が、個人的に興味の範囲かな。後者に関しては、アメリカを対象とした、最近の軍事の社会史みたいな視座の研究は、この時点ではほとんどないようだが。
 環境と社会関係を結びつけた研究が多いのが印象的。
 アメリカでは、「人種」が外観から分かりやすいだけに、人種と階級、格差の問題が精力的に追求されている。アメリカでの研究手法を日本社会に持ち込んだら、なにかできるかね。


 そういえば、本書が出版されたのはオバマが大統領に当選した頃で、人種の融和に期待するような記述もある。8年後に見ると、なんか皮肉だなあ。「黒人大統領」の当選がむしろ、社会の分極化を促進してしまった感が強い。保守が、頑迷な保守にジョブチェンジしたような。あげく、トランプなんぞを大統領の地位につけちゃって。ほんとうにまあ。


 以下、メモ:

 そうした時期の研究として近年とくに注目しうるのは、「市場革命論」を提唱する社会史あるいは政治史の研究者が、資本主義生成過程の解明を企図して、「市場革命」前の農業社会に遡り、共同体住人がいだく心性の分析を進めている事実である。マイケル・メリルあるいはクリストファー・クラークらであり、とくにメリルは、19世紀初頭までの農民が利潤を追求する個人ではなかったこと、余剰農産物は共同体での交換のためであって、現金を得るための手段ではなかった事実を確認する。彼の結論はつぎのように要約できるであろう。共同体として自給自足が原則の社会では、相互協力は当たり前であり、物々交換のために計算貨幣は存在しても現金はほとんど介在しなかった。行商人など外からの誘惑には、自家製のチーズや穀物が貨幣の代わりをした。共同体がやがて現金を必要とし始めるのは、自営農民の自由の証である土地取得に関連して、「市場革命」によって高騰した土地を購入する必要が生じたからであった、と。p.58

 18世紀から19世紀の頭までの話。資本主義的世界経済に包摂されているのに、資本主義じゃないというのも、不思議な話だが。少なくとも、日常生活における現金の必要性はあまりなかったと。

例えば一方の企業家やエリートたちは、彼らの主導権確保をめざし、独立革命の記憶に自由な資本主義的解釈を埋め込もうとしていた。新しい秩序から恩恵を受ける人びともまた、個人の自由を主張した。しかし、その一方で多様な人びとが、独立革命以来の共和主義的伝統を持ち出し、アメリカはわずかの人を豊かにするために多数に犠牲を強いる国であってはならないと、自らの自由の獲得、さらには民主化を求めた。p.61

 市場原理主義と格差に反対する対立関係は、古くて新しい問題と。現在のアメリカでは、共和主義伝統は完全に負けている感があるけど。

 また革新主義時代に知的エリートが多大な政治的、社会的影響力をもつようになった背後に、先行する時期の基盤形成があったことも明らかにされつつある。自然科学や人文科学の各分野が多分に政策的応用を意識しつつ発達し、その受け皿としての大学や学会、さらには企業の研究所が設置されていった過程の解明は、近年の大きな成果である。またその際ヨーロッパとの知的交流が大きな影響をもったのを示したダニエル・ロジャーズのAtlantic Crossingsは、トランスナショナル・ヒストリーの初期の代表作である。p.82

 シンクタンク社会アメリカの端緒は、20世紀の始めあたりにあると。

 他方、当時の政治についても、社会経済的変化が国家機構に与えた影響が検討されてきた。スティーブン・スコウロネクは、19世紀半ばまでのアメリカの国家を、政党政治家が議会で立法し裁判所が裁判を通じてそれを執行することで社会を統治する「裁判所と政党からなる国家」と定式化し、それがその後の経済的変化や科学技術の発展に対応するなかで変容していったという。法曹を主たる担い手としたそれまでの国家から、専門知識をもつ大卒のエリートが、州際通商委員会のような独立行政委員会をはじめとする行政機関を拠点に、政策過程において大きな役割をはたす行政国家へと変貌を遂げたとみるのである。p.84-5

 そういえば、裁判と行政が分離したのって、厳密にはいつ頃なんだろうな。中近世には、行政=裁判だったわけだしねえ。近代国家の秘密は、そこらへんにありそう。


 文献メモ:
秋元英一『アメリカ経済の歴史1492-1993』東京大学出版会、1995
浅羽良昌『アメリカ経済200年の興亡』東洋経済新報社、1996
岡田泰男『アメリカ経済史』慶應義塾大学出版会、2000
岡田泰男・須藤功編『アメリカ経済史の新潮流』慶応義塾出版会、2003
楠井敏郎『アメリカ資本主義の発展構造』日本経済評論社、1997