谷口研語『明智光秀:浪人出身の外様大名の実像』

明智光秀 (歴史新書y)

明智光秀 (歴史新書y)

 明智光秀の伝記。京都近辺で活動しているだけに、信長の上洛から本能寺の変までの活動は、細かく追えるのだな。一方で、出自や前半生は謎に包まれている、と。


 親類も美濃に住んでて、美濃の土岐明智氏の出身であることは確実だろうけど、その系譜ははっきりしない。よく考えると、この時代に活躍した人々、先祖がよく分からない例が多いなあ。それだけ、世代間の断絶が大きかったということなのかね。
 最初は将軍義昭と信長の交渉の担当者として、細川藤孝の下で活動。その縁で、抜擢。義昭と信長の関係悪化の中、信長に付く。その後、京都と近江をつなぐ中山越えを押さえる役割や京都の宮廷工作や行政を担当。さらに、丹波攻略や本願寺との戦いで各地を転戦。


 本能寺の変に関しては、信長の統治構想と光秀の利害が一致しなくなりつつあったこと。その上で、突然、光秀が謀反を決意するに至る事件があった。27日に、筒井順慶の東国への国替えが内示され、光秀の畿内与力団が解体されることが、光秀に決断させた、と。分かったような、分からないような。
 政権構想との齟齬という点では、『織田信長と戦国の村』と通じるところがあるような。


 最終的に、光秀は山崎の戦いに破れ、山科近辺で殺害される。しかし、細川・筒井が光秀についても、秀吉と摂津の信長軍と互角以下の兵力しか動員できなかっただろうし、将来は暗かっただろうな。