熊本県立美術館特別展「細川がラシャ」

 個人的に、細川ガラシャという個人にあんまり興味がないのだが、細川家や明智家に関する史料も展示されるということで。織田信長の興隆のもとで、明智光秀細川藤孝・忠興父子が、明確な指揮関係に編成されていたこと。本能寺の変の発生とガラシャの幽閉。関ヶ原の戦いに先立つ戦いと、ガラシャの死。ヨーロッパ側の史料。そして、死後のイメージの変遷といった構成。本能寺の変に関わる史料や関ヶ原の戦いに関する史料が多く展示されていて楽しい。
 ガラシャの手紙がいくつか展示されていたけど、ああいう散らし書きは、翻刻してあっても、何が書いてあるかさっぱり分からない。どういう順番で、文字をつないでいけばいいのだろうか。
 あとは、ガラシャの死が忠興に与えたダメージってどんなものだったか。手紙からは読み取れないが、わざわざ、内心を吐露するような媒体でもないしな。一時はキリスト教式で菩提を弔っていたあたり、大事には思っていたのだろうな。その後、禅寺での供養に切り替えるが、息子の忠利は、キリスト教式で行うべきと考えていたことが、書簡に示されていて興味深い。
 死後のイメージの変遷も興味深い。「家」のために死を選んだ烈女・節女というイメージが近世を通じて、流布された。明治時代の修身の教科書にも集録されている。それだけ、天下分け目の戦いにおける衝撃的エピソードだったのだろう。キリスト教徒としてのイメージは、近代に入って、ヨーロッパ側の史料が逆輸入される形で現れ、徐々にイメージを塗り替えていく。ヨーロッパでも、オペラが作られ、近代に入ってキリスト者ガラシャというイメージで創作が行われるようになる。
 細川家が、江戸時代の初期には、それこそ『綿考輯録』でも、ガラシャキリスト教を受け入れたことを認めているのに、後半になると歴史をまとめた本でそのことを書かなくなるというのが、また、興味深い。



 歌仙兼定。こいつで、36人ズンバラリンとやったのか。よっぽど、お気に入りだったのだな…
 『綿考輯録』に集録されている「鬼の女房には蛇がお似合いでしょう」とか、切った下人の血をガラシャの服で拭ったら、着替えなくて、忠興の方が謝ったなんてエピソードを見ると、サイコパスサイコパスな感じで、微笑ましいが。