蒲生俊敬『太平洋:その深層で起こっていること』

 以前出た『日本海:その深層で起こっていること』は海水メインだけど、本書は、一読では、むしろ地殻よりな感じで意外に思った。著者の経歴を見ると、海水の化学組成の分析が専門なのかな。それなら、海底火山の噴出物とか、深海の水温・組成の分析も、一貫した仕事の内なのかな。


 太平洋を、「柔らかい」太平洋こと海水の部分と「堅い」太平洋こと海底に分けて、紹介する。第二部は海底火山、第三部は深海の科学を紹介。


 第一部は、太平洋の概説。
 前半は、「柔らかい」太平洋。グリーンランドや南極の沖で、密度が高まった海水が沈み込み、全世界的に動く熱塩循環は著名だが、そうやって押し出されてきた海水が最終的に、太平洋でどうやって浮き上がってくるかはよく知らなかった。潮汐と海底地形によって、乱流が発生し、それによって表層と深層の海水が攪拌。温度が高くなって、浮き上がってくる。
 あとは、温暖化や人間活動が海水組成に与える影響。海水温の上昇や酸性化は、以前からよく見かけるが、難分解性有機汚染物質(POPs)とマイクロプラスチックの合わせ技は、予想以上にやっかいな感じだな。マイクロプラスチックに吸着して、それが生物の誤食によって生物に濃縮、それによって深海への移動も早める。マリアナ海溝の底から採取されたエビでも、高濃度に汚染されているというのが恐ろしい。
 120万トン生産されたPCB類のうち、36万トンが環境中に放出。それが、人間に戻ってくるかもしれない、か…
 後半は、海底。特に、火山活動について。中央海嶺ホットスポット火山、環太平洋火山帯は、高校地学を取っていれば、普通に知っている話題だが、第四の範疇として、アウターライズのさらに外、両方から力がかかってプレートに亀裂が入って、そこで火山活動が起きる「プチスポット火山」の存在。
 あとは、海底における熱水の噴出の話とか。熱水鉱床の深海に与える影響。熱水中には、マンガンや鉄、メタンが、普通の海水より50万倍多く含まれているので、相当に薄まっても、検出できる。これを目印に、熱水の噴出を探すことができるという。


 第二部は、海底火山について。
 ハワイ沖の、新しい火山であるロイヒ海山、太平洋に並ぶ天皇海山群、最後は島弧火山の観測の話。
 最初は、ハワイ島の話。プレート移動に伴って、ハワイ島も、徐々にホットスポットの中心から外れていき、新たな火山が生まれつつある。ハワイ島の南東には、次の島になる予定の海底火山、ロイヒ海山が育っていて、海面下1000メートルまで高くなっているそうな。1985年の白鳳丸の観測では、海水の成分分析によって、二重のプルームを識別。複数の熱水湧出場所があるらしきことが判明していた。そこに、潜水調査船による観測ラッシュと熱水湧出場所の発見。1996年には噴火による熱水湧出箇所の一つが、火口でクレーターになっていた話。
 このロイヒ海山から供給される鉄で、鉄の酸化エネルギーから有機物を合成する鉄バクテリアのマットが、数メートル規模で発達しているとか。さらに、比較的浅いところでばらまかれる鉄によって、太平洋全域の生物活動を支えているとか、何やら壮大な話が。


 第二の話題は、ハワイ諸島から続く海山列のうち、日本に近いところまで来ている天皇海山群の発見のエピソード。徴用されて、測量船とされた陽光丸による、北太平洋の音響探査。調べてみると、一般徴用船という範疇で、そのまま測量船として充当されたようだ。海軍の紹介線の外で海底地形の測量を行っていて、ドーリットル空襲の米機動部隊とすれ違ったりしたとか。それでいて、せっかくのデータは店ざらしになっていて、それを、戦後、アメリカからきたディーツ博士が分析。古代の天皇の名前を付けた、天皇海山群を発見・命名したという。ディーツ博士が日本の古代史に関心があったため、発見した海山に、そういう命名をしたと。命名者、戦後で、日本人ですらなかったというが意外。
 あとは、海軍の命令のめちゃくちゃさ。所帯が小さかったせいもあるのだろうけど、本当に、ダメダメだよなあ。わざわざ危険を冒してデータを取らせて、分析もしないとか。
 あとは、天皇海山群で採取された岩石から、古地磁気を検出すると、ホットスポットが南に移動していたことが明らかになったという。あれ、動くんか。地磁気の動きからは、ホットスポットの移動とプレートの移動方向の変化、両者を合わせるモデルが、一番整合的なのだそうな。マントル内部の対流に影響されて、ホットスポットも動く。


 第二部の最後は、島弧火山の噴火。こちらも、観測のエピソードがメイン。
 1952年の明神礁の噴火では、観測に向かった第五海洋丸が、噴火に巻き込まれて行方不明に。爆風の直撃を受けたらしいと。その後も、漁船が爆発に巻き込まれかけるなど、なかなか危険なところらしい。伊豆諸島沖の手石海丘の噴火の時も、測量船拓洋が巻き込まれかけるなど、海底火山の有人探査は危険が伴う。
 そのため、無人の自航式ブイやAUVを使った観測が行われているという。


 第三部は、地球で一番深いマリアナ海溝チャレンジャー海淵のような「超深海」の研究の話。
 一番深い場所探しは、19世紀後半から、各国で競って行われ、現在、一番深いとされているチャレンジャー海淵の発見は、1951年。意外と最近なのだな。複数の観測を突き合わせた結果、1万800メートル程度の深さが公認されている。で、ここには、現在でも三人しかたどり着いていない、到達の難しい場所。月には12人行っているから、それより難しいってことかねえ。投入された予算は、桁が違うけど。
 チャレンジャー海淵の底を訪れた人間は、トリエステ号のジャック・ピカールとドン・ウォルシュ、ディープシー・チャレンジャーのジェームズ・キャメロンの3人か。トリエステ号は、一度目の潜行で、観測窓に亀裂が入って、二度目以降の挑戦が出来なかったのか。フルデプス有人潜水艇、欲しいねえ。中国が、現在、開発中なのだそうだが。こういう、金のかかる科学は、中国の独壇場になりつつあるなあ。
 フルデプス無人潜水艇の分野では、日本が先行者だったけど、事故で亡失。各国のROVやAUVが事故で亡失していて、超深海の厳しさをうかがわせるな。


 6000メートルを超える超深海の観測の難しさは、ワイヤーが長くなって、重く取り扱いにくくなっていること。また、だいたいの既製品の観測機器は、6000メートルの耐圧保証しかなく、それ以上は特注か自作になってしまう
 それでも、様々な工夫で観測が行われ、データが蓄積されている。水温や塩分濃度、各種成分。海溝中にも、南極からの深層水によって酸素が豊富に届けられていたり、潮流が存在してたり、地殻変動で海水の成分が変化したり。
 生物活動の話が興味深い。海底堆積物の酸素量の変化からは、6000メートルよりも深いチャレンジャー海淵のほうが、酸素の消費量が高く、生物活動が活発。これは、海溝が、トラップになって海面からマリンスノーの形で供給される有機物が集中するためであるそうな。むしろ、食料は豊富なのが、海溝の底。一方で、人類が放出したPCBなどの汚染物質が集中すると言うことであり、深海で採取されたエビ類から、高濃度に検出されている。意外と早く、深海まで汚染物質が到達してしまう。やべーな。
 あとは、深海生物採取用のトラップとか。

 お湯のゆらぎは海底面を広く覆い、じわじわと這うように流れています。その直下には、キツネ色の物質(おそらく鉄を含むバクテリアの集合=バクテリアマット)がびっしり付着していました。お湯の湧き出す割れ目は、白っぽい天然硫黄と思われる物質で縁取られていました。熱水と海水がそこで反応し、熱水中の硫化水素が酸化されてできた天然硫黄と推測されます。
 意外だったのは、チューブワームやシロウリガイといった大型の生物が、ビデオ映像からはまったく見てとれなかったことです。68ページ図2-10に示したように、東太平洋海膨の高温熱水域が豊かな生物群集を伴っていたのに比べると、ずいぶんようすが異なっていました。その理由はよくわかりませんが、大型生物の定着できる環境が、ロイヒ海山ではいまだ整っていないせいかもしれません。p.93-4

 何十年に一度くらいの頻度で噴火しているようだし、そのくらいの時間ではチューブワームやシロウリガイといった大型生物は、定着できないのかな。深海生物の常として、成長に相当な時間がかかるのかもしれないなあ。