井原今朝男『中世の借金事情』

中世の借金事情 (歴史文化ライブラリー)

中世の借金事情 (歴史文化ライブラリー)

 うーん、むずい。
 なかなか読み進まない間に、ガンガン他の本に抜かれて、結局数ヶ月かかったような。2009年と、否応もなくリーマンショックを意識せざるをえなかったのだろうけど。逆に、理屈も、生産能力も違う世界を、同じ土俵で比較している据わりの悪さがある。
 そもそも、中世前期までの「債権者保護」も、借金する債務者が公家などの朝廷の有力者だからとか、そういう即物的な理由なんじゃなかろうか。逆に、室町時代になって債権者の権利を重視する思潮が出てくるのも、幕府が、酒屋や土倉といった金融業者に財政を依存することになったからなのではなかろうか。
 確かに、利子の無限増殖というあり方が、社会問題を生んでいるのも確かだろうけど。


 前半は、中世の国制に借財がビルトインされていたという話。中世の国家体制は、納税の請負が最上層から百姓まで、全階層で導入されていた。未納者がいれば、請負者が私財で納税し、未進分は未進者の負債として処理された。また、このような状況から、公的な会計と私的な会計が未分離であった。
 受領国司が大もうけしていたというのは、教科書でも出てくる話だが、逆に荒れた国を付けられた知行国主は、持ち出しで国家の儀礼などの費用をまかなうこともあった。美味しくない国だと、損するのか。
 室町時代になると、荘園の年貢は先に納めてしまう形になり、それは、その年の税収を引き当てとした貸し付け契約であった。


 あるいは、頼母子や合銭、勧進などという形で、少額の資金を出し合って、それを元手に寺社修築や祭礼、投資を行うシステムがあり、それが横並び型の座や一揆といった組織を作り上げる原理にも転化し得た。一方で、少額ずつ出し合う方法が、定例化し、税金に転化してしまうことも。
 あとは、領主が無理矢理借りて、踏み倒すとか。
 さまざまな借金の形態も興味深いが、もう、ここまで来ると知識が追いつかない。女性商人と山門の関係とか、為替と借金の関係、あるいは海外貿易と借金など。為替を使った利子付貸し付けとか、貿易の危険分散とか、ヨーロッパの商業でも見かける話だな。


 後半は債務返済のお話。
 中世の法制は債務者に相当有利に作られていた。利子率は相当高かったが、総額が元本の50-100パーセントを超えた場合には、それ以上増えない規定になっていた。また、借金をめぐる紛争は、公家法で20年、武家法で10年を超えると法廷に持ち込めない。借金の担保として出した不動産は、債権者の持ち物にはならず、元利である借金の倍額を支払えば、いつでも取り戻すことができる。あるいは、債権者・債務者の合意がなければ、質流れもできなかった。
 また、各種の無利子の貸借も存在した。


 このような、債務者優位の法制は、しかし、室町時代になると逆転していく。ここにおいて、債権者と債務者の権利は拮抗していくことになる。その後も、江戸時代末まで、質流れ地の請け戻しなどの債務者保護の慣行は残る。
 一方で、借金を返さないのは「恥」であるとか、土倉から証文を取り戻すときに半額程度払う土一揆というように、債権者の力を強める社会的思潮もだんだん強くなっていく。


 そもそも、近代には、借金の利子がガンガン膨らんでも、それに対応する形で生産力が膨らんでいったわけだが、前近代だと、生産も伸びないし、それ以上増やす意味が無かったんだろうなあ。トピックが多岐にわたって、理解できた気が全然しない。


 以下、メモ:

 中世の年貢納入は、実際に貢納した米や布・絹・麦・大豆・餅・柿・鮭・筋子など進納分が年貢定文に規定され多品種になる。年貢未進分の算出は、それらを米か布という一般等価物に換算して、年貢総額に達しているか生産するための決算帳簿をつくってみないとわからない。こうした中世の決算帳簿を結解状と呼んでいる。現代人は毎年つくるものと思っているが、中世人は請負契約で個人の信用を前提にしているので、面倒な結解状は、領家の別当預所が交替したり領家か地頭のどちらかに不審があったりしたときに作成するものであった。中世では年貢が多品種の現物物品で納入されたので、その換算率を地頭と領家で合意しないと決算帳簿をつくることができない。物品ごとの換算率を合意することを「代付」といった。決算の監査には、年貢納入の請取状・返抄と付き合わせる必要があったため、現地に出された百姓返抄をあつめて照合しなければならなかった。これを「勘合」と呼んだ。勘合の作業量と人件費は巨額になったので、その経費を勘料銭といって現地から特別徴収しなければならなかった。p.35-37

 年貢の納入をめぐるトラブルがあったときの処理のめんどくささ。決算で死ぬる。

 中世において債務の返済を強制するものは、質地が流れるという土地所有喪失の恐怖であったとする経済学の前提がまちがっていたのである。古代中世の人々は、土地所有にだけ執着して生きてきたわけではなく、人と人との人間関係=私縁=社会の絆に依拠して生き抜くことができた。中世にあっては、私縁や人間の絆は所職と同様に、もうひとつの中世的所有であった。近代債権論の世界ほど単一的な価値観を中世人はもちあわせていなかった。p.204

 むしろ、人間関係が担保価値があったということか。